薔薇族の人びと ~大阪のオッチャン 股間から影のように見えただけで!

薔薇族の人びと ~大阪のオッチャン 股間から影のように見えただけで!の画像1画像提供:伊藤文學

 『薔薇族』創刊2号目に載った、「おもいでの夏」と題するオッチャンの写真。股間からわずかに影のようにしか見えないのに、警視庁の風紀係から電話がかかってき呼び出されてしまった。

 この時代、女性でも男性でも陰毛が1本でも見えたらダメという厳しさだった。昭和46年9月のことだ。

 男性の場合、毛深い人はどこから体毛で、どこまでが陰毛なのかと聞いてみたかったが、その頃の風紀係の係官はワイセツ物を取締る意欲に燃えていた人たちで、威厳もあり、怖かった。

 その後、『薔薇族』は始末書20数回、発禁4回という輝かしい歴史を残すことになるのだが、この時は1回目でペコペコ頭を下げて「以後注意をします」とあやまって始末書を書いてきた。

 ぼくは普段はスーツにネクタイ姿ということはなく、いつもラフなスタイルだが風紀係に呼ばれるときは正装をして行くことにしている。なぜなら警察は外見で人を判断する人たちだからだ。

 発禁になって呼び出されるのに、戸籍謄本まで取り寄せて家族の状況まで調べあげ、住所不定だったり身成りが悪いと、扱いがまったく違ってくるからだ。

 大阪のオッチャンと出会わなかったなら『薔薇族』の今日はなかっただろう。独自の力でカメラマンをやとい、モデルを探してヌード写真を誌上に載せるようになるまでには、かなりの時間がかかった。

 オッチャンが亡くなって、しばらく経ってからのことだ。札幌で冬期オリンピックが開催されたおりに、オッチャンの娘さんがコンパニオンとして行く途中、オッチャンが残していた写真のネガを持ってきてくれて、間宮さんと一緒に東京駅で落ち合った。

 オッチャンのイメージとはほど遠い、美しくて知的な娘さんだった。奥さんや娘さんはどんな思いで、オッチャンを見ていたのだろうか。

 昭和47年、1月発行の『薔薇族』3号にオッチャンと親交のあった藤田竜さんと、NHK職員だった甲斐久さん(ペンネームをいくつもつけている)に追悼文を書いてもらって載せた。

『幻の花火 ホモ・ポルノの写真家を悼む』と題し、藤田竜さんの描いた似顔絵も載せた。ぼくは一度だけ電話で声を聞いただけだったが、大阪のオッチャンは、『薔薇族』創刊時の大恩人だし、日本の男性ヌード写真の草分けとして、ゲイの歴史に残るであろう人だし、忘れてはいけない人だ。

 「大阪のオッチャン」の写真を購入した人たちもどれだけ心が癒されたことか。オッチャンのことは忘れないよ。
(文=伊藤文學)

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