拡大する秋葉原 いずれ浅草橋あたりまで「アキバ」に?
2019.12.12
オタクの街としてのみならず、交通の便もよいターミナルとして発展を続ける秋葉原。誰もが知っている人気の土地ということもあってか、オフィスから住宅まで価格は高い。そうした中、次第に秋葉原という地域の概念は拡大を続けている。
もともと、秋葉原というのは東京都千代田区の秋葉原駅周辺の地域名である。中心となるのは千代田区外神田・神田佐久間町および台東区秋葉原周辺あたりである。その賑わいの中心は、地名上は秋葉原の名前のない千代田区側にあったが、最近は昭和通り側の開発も進んだことで台東区へと広がっている。
日々、秋葉原を楽しんでいる人ならわかるだろうが開発が進んだとはいえ、昭和通りよりも東側はいわゆる秋葉原とは風景がまったく異なる。どちらかというと、中小の会社のオフィスなどがひしめきあう下町といった風情。オタクの街という雰囲気はあまり見られない。
ところが、最近では人気の上昇により、次第にこちら側にも店舗がちらほらと見られるようになっているのだ。とりわけ秋葉原にオフィスを構えたい企業にとっては、昭和通りより東側は家賃もそこそこで有望な土地。「秋葉原にオフィスを構えた」というと、電気街のほうではなくこちら側ということもしばしば。別に駅からあまり遠いわけでもなく、見栄を張って多額の固定費を支払うよりも現実的な選択だ。
そうした昭和通り以東への拡大の結果、いよいよ「浅草橋駅あたりまで秋葉原」のようになろうとしている。象徴的なのは、大手ホテルチェーン・東横インの「東横イン秋葉原神田」である。このホテル住所上は日本橋馬喰町。最寄り駅は浅草橋駅なのだが、堂々と「秋葉原」を謳っているのだ。
こうした地名の拡大は「言った者勝ち」というのが通例だ。象徴的なのは群馬県にある「奥軽井沢」。ここは、一般的に知られる浅間山の南麓に広がる軽井沢とはかけ離れた、浅間山の北に広がる土地。確かに道路で軽井沢に繋がってはいるが、実態はキャベツで知られる嬬恋村である。
もともと「奥軽井沢」は軽井沢がブームだった1980年代に新たな開発地として発展した地域。開発業者が嬬恋村ではイメージが悪いと「奥軽井沢」と呼んでいたのがいつの間にか定着したわけである。
秋葉原の拡大は、どこまで続くのか……?
(文=大居 候)