昭和の20年代では「ホモ」なんていう言葉もなく、「男色」と呼ばれていた。世間の人たちも「ホモ」の存在など知らなかった。そんな時代に男性ヌードの写真を撮りまくっていたオッチャンってすごい人だ。
藤田竜君の話だと、オッチャンは小柄な人であまり風采の上がらない、悪く言えば貧相な人だったようだ。どうやって若者に声をかけたのか知らないが、ごっつい人じゃないから相手の若者も用心しないでモデルになってくれたのでは。
ホモなんていう人のことを誰も知らなかったのだから、気軽に声をかけて多少のおこづかいをあげれば、モデルになってくれたのだから、いい時代だった。
間宮さんがオッチャンに頼んで、写真を送ってもらったから、創刊して2、3年はなんとかオッチャンの写真のお陰で出し続けることができた。
創刊号のグラビア写真は、日本テレビの「イレブンPM」によく登場していたカメラマンの原栄三郎さんに撮ってもらった。モデルになってくれた方は、前衛芸術家の秋山祐徳太子さんで、相手の若者は美容師さんだ。
千葉の海岸で撮影したようだが、モデルの髪の毛が長く、最悪だったのは、アソコを花で隠してしまったことだ。アソコのふくらみと陰影をうまく見せなければいけないのに、女性ヌードを撮るカメラマンだから仕方がなかった。
本文の中にはオッチャンの写真を使ったのだが、ぼくがベタベタと小さく入れてしまったので、藤田君に「大事にして大きく入れなければ駄目だ」と叱られてしまった。
どんな男が読者に好まれるかということをぼくは全く知らないのだから、失敗の連続だった。原栄三郎さんにお願いして、日劇ダンシングチームの男性舞踏家をモデルにしてポスターを作成したが、これも藤田君に「こんなもの買う人いないよ」と言われてしまった。案の定、まったく売れなかったので包装紙にしてしまった。それからは藤田竜君に何もかもお願いして、ぼくは言われるままに動くことにしてしまった。
2号目はオッチャンの写真を使って、グラビア頁、それもったの4頁でモノクロ。アソコは白く貼り薬のトクホンのように穴をあけて、見開きにして海岸で2人の男をモデルにした写真。「おもいでの夏」と題して。
オッチャンは、このグラビア写真を見て、飛び上がらんばかりに喜んだそうだ。それは『アドニス』に載った写真は、ザラ紙に汚い印刷で刷られたものばかりだったから……。
これを見たのが最後で、オッチャンはガンで誰にもみとられずに亡くなってしまった。日本最初の男性ヌードカメラマンの寂しい最後だった。
(文=伊藤文學)
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