『娘の友達』騒動の裏で『先生、あたし誰にも言いません』が非常に考えさせる内容で深い…表現を規制させる元凶が一体何か、今一度考えるべき

 萩原あさ美氏の『娘の友達』(講談社)における内容の是非が話題となった。

 ことの発端は、ニュースサイト『BLOGOS』に掲載された【女子高生と中年男性の関係を描く漫画『娘の友達』が物議 「性的搾取を助長する」との声も】という記事であった。この記事の掲載後、インターネット上には様々意見が飛び交った。

 今回のこの騒動は、犯罪が起きると囁かれる「オタク=犯罪予備軍」に近い、勝手な先入観で語られた次元の話でしかない。実際、武蔵野市のやぶはら太郎市議は、自身のSNSで「この作品の連載を中止しても犯罪は減りません。」と投稿し、前衆議院議員の宮崎タケシ氏は「十年以上前にブログで書いたが、フィクションが違法行為を助長するとして規制されるなら、少なくない模倣殺人を生んだであろうドストエフスキー「罪と罰」やカミュ「異邦人」も規制しなければならなくなる。抽象的理由による表現規制はアホ丸出しで、やめたほうがいい」と投稿している。

 『娘の友達』の内容が犯罪を助長するというのであれば、藤緒あい氏の『先生、あたし誰にも言いません』(秋田書店)だってNGのはずだ。こちらは先生と生徒の恋愛関係と、父親からの性的虐待という非常にデリケートなテーマに真正面から向き合っている。

 少し前になるが、貴志祐介氏の小説が原作で、映画にもマンガにもなった『悪の教典』なんて、先生が生徒と関係は持つは、大量虐殺はするは、で内容だけで言うとモラルも何もない。しかし同作は大ヒットし、第1回山田風太郎賞受賞作、第144回直木三十五賞候補作、第32回吉川英治文学新人賞候補作、2011年本屋大賞ノミネート作と、この上ない肩書がずらりと並ぶ。宮崎タケシ氏の言うように、安易な想像と偏見をぶつけるだけで、抽象的理由による表現規制はアホ丸出しだ。

 先に挙げた『先生、あたし誰にも言いません』は最終巻の3巻が今月発売されたばかりである。性的虐待をされた生徒に、虐待をしてしまった親に、学校がどう向き合うのか。また、ひとりの男として、生徒と関係を持ってしまった教師がどう向き合うのか。その答えが記されている。

 高校時代と言うのは、精神的にも大人と子供のはざまにあり、非常に多感な時期だ。最終ページでは、愛が何かを理解できない生徒が、ある答えにたどり着くことで、感傷的な終わりをみせる。そこにはマンガである以上の文学性や社会性が含まれており、読み手にも「愛」とは何かを非常に考えさせるものがある。

 大人と学生の恋愛をすぐさま犯罪につなげる安易な思考のほうが危険である。取材の結果、出版元の講談社には抗議らしいものが実際は何もきていなかったことが分かっているし、今回の件が話題となる前に、『娘の友達』に対しての誹謗中傷などはほとんど確認できなかったことも分かっている。

 時代とともに、様々な規制が生まれ、表現の自由が狭まっていく中、その規制を生み出していしまっている元凶が何か、いま一度考えるべきではないだろうか。
(文=Leoneko)

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