「大阪のオッチャン」と呼ばれる人から、男性ヌードの写真を提供してもらわなかったら『薔薇族』は創刊できなかった。
日本のゲイ雑誌の草分けといえる『アドニス』が創刊されたのは、昭和27年の創刊よりも19年も前のことだが、非合法の会員制の雑誌で会員も5~600人いたと思われる。
戦後、性の解放が叫ばれるようになって、雨後のたけのこのようにエロ本が次々と刊行されたが、その中に『人間探求』という雑誌があった。
その雑誌の編集者だった上月竜之介(おそらくゲイの方だったのでは)さんが、仲間の協力を得て創刊したのが『アドニス』だった。『人間探求』にホモの記事が載ると、読者からの反響も大きく、ひんぱんに舞いこむ同性愛者からの孤独を訴える投書だった。
上月さんは編集者で、ひとりで雑誌を出す資力はない。社長は会員募集の広告を載せてくれたが、資金は出さない。会費が集ってから創刊号を出したようだ。15号を出した頃から、上月さんは健康上の理由からか、作品社の編集者の田中貞夫さんと、パートナーの推理小説作家でもあり、『短歌研究』の編集長もやった中井英夫さんにバトンタッチしたようだ。
上月さんの時代は学術的な読物が多かったが、田中さん、中井さんの時代になってからは文芸雑誌のような色合いになってきている。「大阪のオッチャン」と呼ばれる人は、何を本業にしていた方なのか知るよしもない。
『アドニス』を見ていくと、田中さん、中井さんの時代になってから『アドニス』を刊行するギリシャ研究会に出入りするようになりヌード写真を提供し、会員たちに写真を売っていたようだ。
「大阪のオッチャン」は結婚されていて、成人されている娘さんもいたが離婚をされてひとりで生活していた。
『アドニス』を紐とくと、オッチャンの写真は見出しのところに使われているが、1号に2、3枚しか使われていない。
オッチャンと付き合いのあった人は、間宮浩さんと藤田竜さんしかいない。NHKの職員だった川居考雄さんも付き合いがあったようで、川居さんがコレクションした写真集『脱いだ男たち』(日本で最初の男性ヌード写真集、オビに読者が買いやすいようにデッサン用と入れたので話題になった)は、「大阪のオッチャン」から入手したものだろう。
『薔薇族』を創刊する以前に、オッチャンは警察の手入れを受けて、何万点もの写真を押収されている。
『アドニス』も警察の手入れを受けて、刊行できなくなってしまった。終刊号は63号だが、早稲田大学図書館には全巻が揃っている。
(文=伊藤文學)
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