薔薇族だった時代 ~最後まで誰にも真似できない生きざまを貫いた高須基仁 第41回

薔薇族だった時代 ~最後まで誰にも真似できない生きざまを貫いた高須基仁 第41回の画像1画像提供:伊藤文學

 伊藤文學氏からお借りしたツーショット画像。文學氏と一緒に写っているのは、9月17日に他界された高須基仁氏だ。

 あの黒髭危機一髪を手掛けた方で、文學氏とトークショーもなさった高須氏は、日本テレビ「マネーの虎」(2001~2004)の名物社長であり、多くの女優ヘアヌードをプロデュースされた。それなのに文學氏と共演なさったのは、ゲイに偏見の無い方の証だ。

 女性ヌードの「脱がせ屋」と言われていた方なので、薔薇族で男性ヌードの「脱がせ屋」だった私は、是非ともお会いしたいプロデューサーの大先輩だった。

 今年3月に文學氏の誕生会で、高須氏を知る某店主に高須氏を紹介してほしいと頼んだが、「高須さんは、トラブルメーカーで厄介だから断る」と言われて諦めていた。しかし私もトラブルメーカーな人間だから、余計に高須氏が気になりこのコラムの連載が進んだ6月にコラムの担当編集者づてに頼んでみた。すると、入院中だということが分かった。

 ご回復を待つしかないと思い、文學氏のブログと平行して高須氏のブログも拝見していて何故か胸騒ぎがした。文學氏に高須氏とお繋がりある吉原のトップソープランド経営者N氏に電話してみた。初めて会話する私にN氏は「高須氏の余命がないから会わせたい。文學先生を連れてきてほしい」と言い、言葉を失った。

 私は、文學氏と一緒に8月15日台風が迫る中、 新宿・歌舞伎町の会場に向かった。

 毎年恒例の、反戦と最新書籍出版記念を兼ねていたイベントに車椅子で登場した高須氏は、「伊藤文學も来てくれてるね」と視線をくださった。文學氏は、私の隣席から高須氏に手を振っていた。そして高須氏自身の口から「余命は・・・恐らく1か月くらいだ」そこまで言い切れる71才の高須氏の気丈さに驚かされた。

 最後まで誰にも真似できない生きざまだね、と文學氏と帰路に話した。

 ふと、文學氏が私に、「津田君は薔薇族を若い人の本に変えてくれた人だ。いまは何も助けてあげられず切ないな」と言ってくださった。私はかつて、身内のトラブルで財産や家を奪われており、いまは職も失っている身である。しかし私は文学氏がいてくださるから、いまは仕事もお金も無くても、N氏や高須氏を崇拝する人々と高須氏の生前葬の様なイベントに参加できたのである。とてもありがたいことだ。

 さらに、私が某歌手の半生を書いていることもあり、高須氏と近かった2名の女性から「高須さんが元気な時なら、津田さんと出版とかのお仕事をされていたかもしれませんね」と言っていただけた。非常に光栄だった。

薔薇族だった時代 ~最後まで誰にも真似できない生きざまを貫いた高須基仁 第41回の画像2撮影:津田広樹

 作家としての伊藤文学氏と高須基仁氏のように、私もたくさんの本を書きたい。71才の若さで旅立たれた高須基仁氏の分も、87才の伊藤文学氏には、まだまだ本を書いていただきたい。

 この日の高須基仁氏…癌が脳に50ヵ所も転移していて辛いはずなのに、とてつもなくカッコイイ表情とポーズをなさった一瞬を写真家として記録した1枚が、この画像だ。合掌。

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、無断配信に苛まれ、昨年に全ての映像ソフトのレーベルを手離す。しかし長年ににわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。 

津田広樹(薔薇族だった時代筆者)
@Wi08XKZE10Vb5rx

薔薇族だった時代 ~最後まで誰にも真似できない生きざまを貫いた高須基仁 第41回のページです。おたぽるは、人気連載書籍ホビーの最新ニュースをファンにいち早くお届けします。オタクに“なるほど”面白いおたぽる!

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