『ヒプマイ』の「キャラ追加」、『おっさんずラブ』の「ドラマ続編」……作品をそっとしておけない公式の思惑とは

2019.09.18

映画『劇場版おっさんずラブ ~LOVE or DEAD~』公式サイトより

 男性声優キャララップバトル『ヒプノシスマイク(以下ヒプマイ)』はそれまで3人で構成される4つの「ディビジョン」がラップで領土争いをする、がコンセプトだったのだが、そこに今回2つの新ディビジョンが追加され、物議を醸している。また、2018年の流行語大賞ともなった田中圭主演のドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)は好評を博し現在映画版もヒットしているが、秋にドラマのシーズン2を発表し、これまた物議を醸している。何もこの2作に限らず「新キャラ追加」「続編」は「あ~あ~、だからやめとけって言ったのに」となることも多いリスキーな選択だ。しかし、なぜそれを公式は止められないのだろうか。考えてみたい。

 

■新キャラ追加を嫌がるオタクは「新キャラ自体」が嫌なのではない

「新キャラ追加」も「続編」も「DYY(だから やめときゃ よかったのに)」指数の高いリスキーなテコ入れだ。多くのコンテンツがこれで命を散らし、オタクの屍の山を築いてきた。読者の皆さんの中にも「新キャラ追加OR続編テコ入れのせいで、公式を殺しても殺し足りない」コンテンツがある人もいるだろう。

 しかし『ヒプマイ』と『おっさんずラブ』には状況に大きな違いがある。今回のテコ入れにおいて「公式の野郎……、またやりやがった」が『ヒプマイ』で「公式よ、なぜに」が『おっさんずラブ』だ。

『ヒプマイ』は当初「音楽コンテンツとちょっとのドラマパート」で進行していたころは多くのオタクを順調に悶えさせてきた。その時の「なんとなくのにおわせとチラ見せ」を続ければあと数年コスパ良く儲けられた覇権コンテンツだったと思うのだが、『ヒプマイ』はこれまたDYY指数が高いテコ入れ「コミカライズ」を2018年の年末より「なぜか、あえて」行った。そしてその百瀬祐一郎氏原作によるコミカライズは一部のファンの期待を270度ほど上回る内容で、一部のオタクは灰になってしまったのだ。

(参考)『ヒプノシスマイク』コミカライズに傷心のオタクはどう立ち直ればいいのか?~心理学の名著を読み解く~」

 私もコミカライズで灰になってしまったので、それ以降PTSD的症状に苦しみながら、お気に入りの二次創作だけ見て心の平安を保つようにしていた。

 しかし百瀬氏のショーはマスト・ゴー・オンだったようで、今回の新キャラ追加とあいなってしまったのだろう。私が爆死したコミカライズという第一波に耐えた猛者のオタクたちが新キャラ追加で「ただのしかばねのようだ」となった様子をいくつか拝見し、彼女たちのつらく険しく、そして報われることなく終わった闘いの日々を思い、合掌した。

 これは何も『ヒプマイ』に限らないが、「新キャラ追加」を嫌がる人の多くは「新キャラ自体」が嫌なのではない。「もともとのキャラクターたちの関係性を十分に描き切れていないのに新キャラを追加して、ますますもともといたキャラクターの描写が減ってしまう」点を嫌がっているのだ。脚本の力不足を代わりに背負わされ、いらんヘイトすら背負い世に出ていかないといけない新キャラ自体も不憫だと思う。

 私が百瀬氏なら、さすがにしばらくは『ヒプマイ』以外ではおとなしくしとこうと思うところだが、超人の氏は休むということを知らない。なんということでしょう。10月からの新アニメ『アフリカのサラリーマン』(TOKYO MXほか)でも脚本担当なのだ。「百瀬氏の御父上、えげつないくらいやんごとない人か、裏社会の人疑惑」がまた一層濃くなった(※全くの臆測です)。私が原稿をアップしなくなったら、アイツ消されたんだなと思ってほしい。

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