“生涯ドルヲタ”ライターの「アイドル深夜徘徊」vol.38

傷つけ合い、愛し合う少女たちの一瞬のきらめき――映画『左様なら』レビュー

 私が学生の頃は、「スクールカースト」などという言葉はなかった。ただ、やはりクラスの中には、「みんなと仲良くできる人」と「周囲に合わせられない人」がいて、なんとなく順列のようなものができていた。正直、私のポジションはかなり下の方だった。勉強もできないし運動もできない。人に合わせて何かをするのが嫌いだったし、何よりあの頃からいわゆる“オタク”で、みんなが好きになるものを、素直に受け入れられなかったことも大きいだろう。

 ただ、大人になって思い返せば、あの頃、みんなと同じようなものを好きになっていたら、今のように、自分の好きなものを突き詰める生き方ができていたかどうか甚だ疑問である。何が正しかったかが分かるのは、得てしてだいぶ時間が経ってからなのだ。

 映画の中で、ハブられるようになった由紀は、わりと自由にしている。初めてライブハウスに足を運び、幼馴染の慶太(平井亜門)とも仲良くやっている。もちろん、仲間と一緒でなければ経験できないこともあるだろうが、一人になって初めてわかることも、案外たくさんあるものだ。

 そんな日常を積み重ねていく中で、由紀はようやく綾の死と向き合うことができるになる。

 印象的なところで出てくるのは、海だ。教室から見える海や、海岸でのシーン、綾が事故にあった道も海辺という設定だ。

 製作者がどこまで意識しているかわからないが、海というのは、あの世とこの世の境目の象徴のようにも受け取れる。陽光を反射してキラキラと輝いたかと思えば、荒れ狂う大波で人の命を奪ったりもする。ラスト近くのシーンで、この世に生きている由紀と、死んでしまった綾が海辺を歩いているのは象徴的だ。

 映画の中では、「親友の死」ということ以外、派手な出来事が起こるわけではない。ただ、この作品を見ていると、少しずつ失われていく学生時代の日常が、とてもみずみずしく、愛おしいものに思えてくる。

 実は、昔のことというのは、記憶しているようでいて案外覚えていないものだ。私も高校時代、楽しいことも嫌なこともあったはずだけど、思い出せるのは、蒸し暑い教室の中で感じた、居心地の悪さだけだ。そして、特に思い出そうとしているわけではないのに、ふとしたはずみに蘇ってくるのだ。あの頃の、痛みや、悲しみや、輝きが――。

 この作品は、そんな感情を呼び起こす、不思議な作用を持っている。

 そして、タイトルの「左様なら」。もちろん、別れの言葉「さようなら」のことだ。でも、この言葉には「それならばしかたがない」というようなニュアンスが含まれる。

 別れがあるのはしかたがない、死んでしまうのはしかたがない、大人になるのはしかたがない、忘れてしまうのはしかたがない。たくさんのしかたない、を受け入れて、人はきっと成長していくのだろう。

 演者も、作り手も、誤解を恐れずに言えば、まだまだ青い部分がある。だが、手練の人たちだけでは、このような作品は作れないだろう。若い人たちが集まったからこそできた一瞬のきらめきを、今を生きるたくさんのに人たちに、見てもらいたいと思う。

 今、まさに同世代という人にも、過ぎ去ったあの頃を思い出せずにいる人にもだ。

(文=プレヤード)

●映画『左様なら』
 アップリンク吉祥寺で公開中
 全国順次公開予定
https://www.sayounara-film.com/

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