—内藤ルネさんと出会ったのは創刊9年後―

薔薇族の人びと ~時代を先どりしていた『薔薇族』

 1965年の後半、秋山正美さんというスーツからネクタイ、靴まで緑色という、それに緑色の風呂敷包にくるんだ原稿を持ちこんできた変り者の原稿を『ひとりぼっちの性生活』と題して出版した。

 続いて同じ著者の『ホモテクニック=男と男の性生活』を出版してヒット。このときから今までナイト・ブックスと名付けた新書版のエロ本を60冊も刊行して、経済的にもやっとゆとりができていた。それを180度転換して、男性同性愛者向けの単行本を出す出版社にしてしまった。

 そんなことができたのは、父が女狂いして出版の仕事をぼくに任せていたので、社員はぼくひとりなのだから、誰にも相談することなく、ぼくが決断すればなんでもできた。

 1970年、アメリカのニューヨークの「ストンウォル・イン」というゲイバアが同性愛者の溜り場というだけの理由で、しばしば警察の手入れや嫌がらせを受けていたのが、ある夜、ついにこらえきれなくなった客たちが官憲に抵抗して暴動となり、同性愛者の人権運動の口火となった。

 日本では警察がホモ旅館を手入れしたりすることはあったようだが、暴動を起こすようなことはなかった。そんな時代に同性愛者の人たちのための本を次から次へと刊行し、1971年には『薔薇族』を創刊したのだから、アメリカとは形は違うにしても、時代を先取りしていたのだ。

 今回は内藤ルネさんとの出会いについてだが、彼と同居して一緒に仕事をしていた藤田竜さんからは、ルネさんのことはまったく知らされていなかったので、知るよしもなかった。竜さんはルネさんの影の存在だったから、『薔薇族』の表紙絵を描き続け、自分の思うとおりに『薔薇族』を出すことができたのだから、ルネさんをぼくに紹介したくなかったのだろう。

 創刊当時からの協力者、間宮浩さんのことも竜さんから見れば気になる存在だったのだろう。親分がふたりいてはならないから、間宮さんを追い出してしまった。

 男絵師の三島剛さんも、一度だけ『薔薇族』の表紙絵を描いただけで、『さぶ』に移ってしまった。

 ぼくはスクーターに乗って、足しげく竜さんが住む千駄ヶ谷のマンションを訪ねていたが、真っ黒な部屋で会うだけで、となりの部屋に人の気配がするのを感じてはいたが、それがルネさんとは知らなかった。

 なんでルネさんをぼくに紹介する気になったのか、竜さんに聞いたことはなかったが、ルネさんと出会ったのは、創刊してから、5、6年経ってからだった。竜さんのお母さんとも。前書きが長くなってしまったが、これからぼくとルネさんとの交流を書こう。
(文=伊藤文學)

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