薔薇族の人びと ~初めて表舞台に立った、藤田竜さん! 第5回

2019.08.14

『薔薇族』創刊号

 1971年に『薔薇族』を創刊した頃、ぼくはスクーターのラビットに乗って、足繁く千駄ヶ谷の駅近くのマンションに住む藤田竜さんを訪れていた。

 億ションというのだろうか、部屋が5室も6室もある豪華なマンションの5階だった。その頃のぼくの家は、昭和7年に建てられた2階建のボロ家だったので、いつの日かこんな立派な家に住みたいと思っていた。

 藤田竜さん(本名は本間真夫)は、彼が都立の駒場高校時代に、中原淳一さんが発行する少女雑誌「ひまわり」に勤めていた内藤ルネさんと出会った。

 「ひまわり」でモデルを募集していたので、駒場高校の制服姿で竜さんは編集部を訪れた。扉を開けて部屋に入ってきた竜さんと、椅子に座っていたルネさんの目が合った。ルネさんは竜さんにひとめぼれしてしまった。

 「ひまわり社」発行の古い雑誌を見ると、若き日のかわいい竜さんがモデルになっている写真がよく使われていた。

 それから長い年月が経って、ふたりは結ばれ一緒に住むようになった。千駄ヶ谷のマンションにふたりは住み、グッズを作り出す仕事を一緒にやっていた。しかし、会社名は株式会社「LUNE」。ふたりで考えたグッズのすべては「LUNE」と書かれている。竜さんはあくまでも影の存在だった。

 そんなときにぼくが同性愛のための単行本を専門に出版するようになって、『薔薇ひらく』という小説集のあとがきに、「同性愛者の人たちのために雑誌を出したい」と書いた呼びかけを間宮浩さんが読み、ぼくに手紙をくれた。そして間宮さんが仕事場に借りていたマンションで、ぼくは竜さんとふたりに出会った。

 藤田竜さんにしてみたら、ルネさんの影の立場から初めて表舞台に出られると思ったに違いない。藤田竜さんの『薔薇族』にかける意気ごみはすさまじいものがあった。

 創刊号に初めて描いた竜さんの表紙絵はいま見てもすばらしく、後世に残る傑作だ。ひとめ見て同性愛の人たちにとっては足を組む少年の絵は、ゲイの雑誌だと理解できたのでは……。

 その頃の編集者は、ぼくと竜さんとふたりしかいないのだから、とっても月刊にできるわけがない。隔月で何年か続けた。その表紙絵は力がこもっていた。やっとルネさんの影の存在から、表舞台にとび出したのだから、やりがいがあったに違いない。

 執筆者が少ないので、竜さんは名前を変えて変化をつけ何篇もの原稿を書いていた。「雑誌にはスターがいなければ」と、自らゲイの読者にもてるようにと、遊び人に徹した文章を書いていた。

 ぼくは逆に馬鹿まじめに、いろいろと読者に呼びかける文章を……。妙なコンビだった。
(文=伊藤文學)

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