『薔薇族』の人びと ~ぼくの運命を変えた間宮浩さんからの手紙… 第3回

2019.07.30

ホモテクニック―男と男の性生活(第二書房)

 『薔薇族』創刊のきっかけとなった、48年前の間宮浩さんから送られてきた便せん2枚の手紙をぼくは大切に保管している。この手紙が送られてこなかったら、『薔薇族』は誕生しなかったかもしれない。

 父・禱一は日本の敗戦後の昭和23年に株式会社・第二書房を創業した。ぼくが駒沢大学に入学したときだ。
 
 出版社は机ひとつと、電話があればいい。印刷も製本も紙も外注なのだから、事務所など借りることはない。事務所を借りれば社員を雇わなければならない。自宅を事務所にすればいいという考え方だった。

 姉と妹がふたり、男はぼくひとりだから、大学に入ったからといって、父の仕事を手伝わざるをえなかった。大学を出てからも就職はせず、父の手伝いを続けることになってしまった。

 30歳になるころ、父は女狂いをして、仕事をぼくに任せ一切口出ししなかったので、ぼくの判断でどんな本でも出せた。

 ぼくは運がよかったのか、ぼくが出す本はよく売れた。エロ本ばかり出していたのが、180度転回して、ゲイの人が読む本を出し続けた。

 書店で買いにくいので、下北沢のわが家まで買いにくるお客さんが多かった。そんな人たちの悩みごとを聞いているうちに、仲間を見つけにくいという人に気付いた。そこでひらめいたのは、文通らんを作って手紙で仲間を見つけれる雑誌を出そうと思い立った。『薔薇ひらく』という単行本のあとがきに、「協力してくれる人はいませんか」と呼びかけた。それを読んだ間宮浩さんが手紙をくれたのだ。ぼくは手紙を読んですぐさま電話をして、間宮さんのマンションの部屋を訪れることにした。

 間宮 浩さんは、SM雑誌の『風俗奇譚』にホモ小説を載せていた人だ。『風俗奇譚』は、大手の取次店(本の問屋)のコード番号を取ることができなかったので、古書店、ゾッキ本屋(売れ残った本を買いとり安く売る店)にしか扱ってもらえなかった。全国の書店の店頭には並べられなかったのだ。

 間宮浩さん、そして同じくエッセイなどを書いていた藤田竜さんも仲間だったが、なにしろ『風俗奇譚』はSMの雑誌だから、ホモの記事は少ない。ふたりは不満をもっていたのだから、ぼくの呼びかけに応じてきたのは当然のことだ。

 間宮浩さんに連れられて、四谷にあった『風俗奇譚』の編集部を訪ね、編集長の高倉一さんにお会いしたことがあった。
「うちの雑誌はSMあり、レズビアンあり、ホモもあるから成りたっているので、ホモだけではダメですよ」と言われてしまった。
(文=伊藤文學)

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