華山みおの物語探索 その66

『存在のない子供たち』日本人が知らない超貧困層…遠い未来、日本にも起こりうる?

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「存在のない子供たち」公式サイトより

 今回はナディーン・ラバキー監督の映画『存在のない子供たち』をレビューします。

 わずか12歳で、裁判を起こしたゼイン。訴えた相手は、自分の両親だ。裁判長から、「何の罪で?」と聞かれた ゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。中東の貧民窟に生まれたゼインは、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない。学校へ通うこともな く、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に働かされている。唯一の支えだった大切な妹が 11 歳 で強制結婚させられ、怒りと悲しみから家を飛び出したゼインを待っていたのは、大人たちが作ったさらに過酷 な“現実”だった──。

 センセーショナルな内容は遠い国の話だと思い込みたい。中東の貧民窟で生活を送るゼイン。多くの弟妹を含む家族の為遊ぶことも勉強することもままならないほどに朝から晩まで働く12月歳ほどの少年だ。
 
 彼は確かに存在する。しかし彼は”法的”には存在していない人間である。それはなぜか。貧困によって出生届けをだす手続きを行えないからだ。

 そんな話は海を渡った遠い遠い世界の反対側のどこかで起こっている物語のような話だと思い込みたくなる。しかし、日本に同じ状況が蔓延する日が来ないとは言い切れない。

 この映画を観た時に思い出したのが2016年に放送されたドラマ『息もできない夏』と、カンヌ映画祭にてパルムドール賞を受賞した『万引き家族』、そして同じく是枝裕和監督作品『誰も知らない』だ。 

 当たり前のように思っている「戸籍」自分が生きて存在するという法的な証拠。そして血がつながっている「家族」それらが正しい形だと思い込んで生きていた私に上記の作品は激しい衝撃を与えた。そしてこの『存在のない子供たち』はその衝撃をさらに増幅させるとともに、かすかな希望をもたらしてくれた。

 この映画の中に出てくる登場人物たちは皆、作中のキャラクターと同じような境遇に身を置いている人物がキャスティングがされているとのこと。ゼイン役のゼイン君は戸籍が無く、教育を受けることもできずに働いていた少年だし、ラヒル役のヨルダノスも違法労働者として映画の撮影中に逮捕されている。同じ境遇の彼らが生きてきた環境を見せてくれている作中の境遇は、現実とは思えないほどに苛酷である。

 若干12歳でありながら生きるために、大人たちと対等に交渉を行ったり力づくで行動を起こしたりするゼイン。弟妹達がたくさんいて、世話を焼いていたからかヨナスの面倒を見ることになった時も手際が良い。しかしどんなに賢く生きるゼインでも、やっぱりどうしたって12歳なのだ。どうにもこうにもいかなくなってしまう時が来たときに、初めて涙を流し何度も何度も後ろを振り返り、未練を滲ませながらも大人に頼らざるを得ない状況を受け入れるシーンがある。彼は子供なのだ。
 
 歌謡曲の中で「人は一人では生きていけない」という歌詞をよく目にする。確かにそうなのだ。皆が一人でどうにかできることは生活のごく一部で、社会で生活するには誰かが決めたルールがあり、そのルールを全うするには協力が必要だったりする。大人は子供をサポートするべきだし、子供にはその権利がある。それが普通だ。でもゼインが生きている世界にはそんな普通は存在しない。

 親や弟妹たちの生活を成り立たせるためには働かなくてはいけないし、皆で生活する家の大家には逆らえない。親の決定にも逆らえない。望んでいることはそう多くないはずなのにそれすら許されない。ただゼインは妹と一緒にいたかっただけだし、愛情をもって親に育ててほしかっただけなのだ。

 貧困が招く悲しい現実。「戸籍」という自分が存在をすることが証明される手段を手に入れられなかったのも貧困のせい。生活が苦しく学ぶことすらままならないのも貧困のせい。両親が余裕を持てないのも全部全部貧困のせいだ。

 戸籍を持つ、家庭を持つ、病院に行ける、仕事につける、全部最低限のことかと思っていた。でも生まれた時からすでに、それらが出来ない状況になっていたらどうしたらいいのか。

 ゼインが起こした行動によって、最後に一筋の光が見える。物語の間中ずっと何かをにらむような、どこか遠くを見るような、達観したような、どこか悲しそうな、困ったような難しい顔ばかりしていたゼインが、最後に作り笑いだが笑顔を見せてこの物語は終わる。この笑顔がいつかはじけるような、心からものに変わるための第一歩だ。

 世界は広く、知らない境遇が山ほどある。しかし知ってしまったこの貧困層は、近い将来日本でも多くなるかもしれない。ゼインのような子供が日本のどこかに、もうすでに存在するかもしれない。

 パンフレットの中で監督は「映画には、たとえ何かを変えることはできないとしても、少なくとも、何かの話あいのきっかけになったり、人々にとって考えるきっかけになると確信している」と語っている。

 知らなくても私たちは生きていける。しかし知らないで切り捨てていい話ではない。多くの人がこの映画を観て、世界で起こっていることが身近に起こりうることだということを知って欲しい。親になるかもしれないいつかの前に。ぜひ。
(文=華山みお)

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