【再掲】

オタク票呼びかけた自民・山田太郎議員がついに当選! 前回参院選を振り返る

「この時期のことをいうと、ボクは民間の製造業向けのコンサルティング会社をつくった。それは、自分を通したつもりですよ」

 山田がまず語ったのは、前述の記事で多くの文字を割いて記されている製造業専門のコンサルティング会社「ネクステック」を立ち上げたことについてであった。

「アクセンチュア……アンダーセンに入って、製造中心に一筋でやってきた。日本はものづくり大国で金融をやってもアメリカには勝てないと思っていたから……」

 製造業のコンサルティングに対する会社の無理解。日々目にしていた危機感を、山田はERP(Enterprise Resources Planning)など、専門用語を交えながら、語った。結局「自分でやるしかない」と思って立ち上げた01年に設立したネクステックは、起業からわずか3年半の05年に東証マザーズに上場。山田は一躍注目される経営者となった。

システムの匠(『週刊ダイヤモンド』2003年8月9・16日合併号)

製造分野のコンサルタントとしては、知る人ぞ知る存在(『財界』2006年4月11日号)

 ……などなど。山田を紹介する記事には、誰も手を付けなかった分野で急成長した敏腕経営者への賛辞で満ちている。

「ニーズがあったわけですよ、マーケットでね。こよなく製造業を愛している人たちが四六時中製造業のことを考えている会社をつくりたいという点では間違いなかったと思いますよ」

「あくまで、現場が第一だと考えていた?」

「そうそう」

「そう考えるに至ったきっかけはどこにあると?」

「うちは、工場でも製造業でもないし……たまたまアンダーセンで配属されたことがあると思いますよ」

「たとえ配属されても気づかない人もいるでしょう。そこに目をつけたのは、それまでの経験や理想があったからでは?」

「とは、思いますよ。ピースボートでひとつあると思うのは、日本はやはり製造大国だと気づかされたことです」

 次第に知りたいことがズレていっているような気がして、再び質問をぶつけた。

「80年代のピースボートは、半ば反体制組織でしたよね。昭和天皇が崩御された前後には、反天皇制を訴えるイベントも行っていましたし」

「そういう人もいた。いたんだけど、私が清美ちゃん……辻元さんとやっていたのは実務だよね。船の回しとか。日本人が500人とか1,000人の単位でどこかの国に入るっていうのは、簡単なように見えて、政治性を帯びちゃう。第三世界の抱える課題に対して賛成なのか反対なのか問われたり……」

 山田は何か急に熱を帯びたような感じになった。

「初めて地球一周した時に22カ国を回ったけど、こんなに大変とは思わなかったよ」

 そこで山田が見たのは、シビアな国際関係の現実だった。既に日本は大勢の国と国交を持っていた時代である。ところが、それだけ大勢の参加者がいれば、自ずと国籍も様々だ。例えば在日韓国人。当時、韓国は中国とは国交を持っていなかった。中国に限らず、乗船者の中に国交がない国の人間を見つけると、入国管理官は相応の措置をとる。時には、該当者に尿瓶を渡して、船室に外から鎖でドアが開かないようにするのだ。そういう時代に、当局と交渉して上陸許可を得る……それが、山田がこなすべき仕事だった。

「その中で新左翼活動をしているオジサンとかもいっぱいいたけど、バッカじゃないのアンタらわかってるの? と思っていた」

 どこでスイッチが入ったのだろう。山田はソファに楽な姿勢で座り直すと、青春時代の仲間たちとの面白いエピソードを、懐かしく思い出すかのように語り始めた。「清美ちゃん」の左翼というレッテル貼りでは見えてこないミーハーっぷりを語り「第三書館の北川のオヤジ」を語り……。

「戦旗・共産同(共産主義者同盟戦旗日向派)の五味洋なんて、麻布の時の一番仲のよい同級生だよ。文化祭の実行委員長をやらせたのは、ボクだし……」

「オタクの人たちには、そんな山田さんが場数を踏んできたことが見えていないのでは?」

「うん、自分ではリベラルかと思ってたら、ネットだとネトウヨだと思われていたりするし。経歴見たら極左かも……。安保法制の時は、最終的に賛成票を投じたけど、あちこちに呼ばれて糾弾されて、友達も随分と失ったよ……」

 一抹の寂しさを滲ませつつ、山田は自分の選択は決して間違っていなかったと言い聞かせているようだった。そんな山田を支えているのは自分が実務家であるという強烈な自負なのだと思った。滅びの美学などというものとは対局にある、いかなる状況にあっても、わずかな利益だけでも拾い上げていくこと。32歳で月給生活に終止符を打ち、組織には所属してこなかった。

 なればこそ、理想はあるはずだ。

「じゃあ、今の時点でこれからつくっていきたい世の中はどういうものなのですか」

「世の中をつくるほど、理想主義者でもないし偉くないけど、あるとしたら将来不安の解消ですよ」

 その言葉は私を諭すようにも見えたが、どこか自信なさげにも感じた。

「東大とか早稲田とか高学歴な大学で先生もやってたけど、そこで学んでいる学生も老後を心配している。それは、今のこの国をどうしようか解決しようとしている人がいない不信感だと思うんですよね。表現についても、息苦しくなっていく不信感がある。そうした不信感を拭わないと、よい国にはならないですよ」

 山田の思い描く目指すべき世の中。その言葉は極めてまっとうで、どこにも反論すべきところがなかった。

 いや、それは間違いかもしれない。こうも捉えることもできるはずだからだ。何も反論する気にならなかった……のだと。

 実にそうなのだ。山田の言葉は、聞けば納得をしてしまうものである。けれども、そこには何も熱くなるものがない。世の中を変革していこうという意志を持つものたちが、歴史の中で残してきたような、際だった言葉がどこにも見当たらないのだ。

 もちろん、話を聞けば、様々な分野の経験が豊富な山田を嫌いになる人はまずいないだろう。けれども、不思議なことに、共に手を取り合って戦おうという気持ちは、湧き上がってはこない。政治や社会運動には欠かせないはずの気持ちが感じられない理由が、何かあるはずだと、思った。

 山田という男は、半ば政治の世界に身を置きながら、政治家とは違う何かなのではないのか。ふと、そんな考えが頭をよぎったのは、都議選の最中であった。「マンガ・アニメの表現の自由」を守ろうと主張する人々は、Twitterなどを用いて盛んに「表現の自由」を守ってくれる候補を応援しようと、具体的な候補者の名前も挙げていた。

 その中には、私が、これまでの取材の中で下劣な人間性を見たことのある者もいた。そうした者であっても、ただ「マンガ・アニメの表現の自由」を守ろうという立場にいるというだけで、持ち上げられている姿があった。

 なんら世界が変わる感覚も、日々の生活が上向きになる予感もない空虚な都議選。その騒々しい期間、私は昨年、山田が出馬した参院選の取材ノートを何度も見直していた。既に、山田の参院選からも一年の日時が過ぎていた。

■『ドカベン』答弁で始まった山田への期待

「マンガ・アニメの表現の自由」を守るために活動する参議院議員。そんな言葉で表現される山田の議員生活は波乱に満ちていた。マニフェスト作成を手伝った縁で、参院選でみんなの党の比例代表の候補者名簿に名前を連ねたのが10年。みんなの党の当選者は7名で名簿順位10位だった山田は落選となった。12年12月、同党の桜内文城が衆院選に立候補することになり辞職。突然繰り上げ当選が決まった。

 慌ただしく始まった議員生活。誰も知らない補欠議員に過ぎなかった山田がオタクにその名を知られたのは、13年5月8日の参院予算委員会で、与党によるマンガを初めとする創作物へも踏み込む改定案の提出が危惧されていた児童ポルノ禁止法について質問したことだった。

「行き過ぎた自主規制が行なわれて、日本の漫画やアニメが面白くなくなる、また廃れてしまうのではないかと危惧しております」

 こう問われた麻生太郎財務相は、少し苦笑しながら「財務省に持ち込まれても、ちょっと所管外という感じがいたします」と、答えた。場違いに見える質問を上手くかわした麻生。山田は、そんなことは意に介さず、さらに続けた。

「実は、水島新司先生の野球漫画『ドカベン』、つまり、私と同じ名前の山田太郎という人が主人公の漫画なんですけれども、その中でも8歳以下のサチ子という妹が入浴シーンで出てきておりまして、こんな本なんかも発禁本になる可能性もあるんです」

 山田が、この問題を限られた質問の時間で取り上げた理由。それは娘がコスプレや同人誌を趣味としていて、自宅で娘の友人たちが集まっては趣味の話題に花を咲かせる姿を、幾度も見ていたから──という話は、ずっと後になって知った。もっとも、この話も「口をすべらした」といって、二度と話そうとはしない。

 この質問を契機として、山田は一躍「オタクの味方」として、限られた人々には著名な期待される人物となった、15年に改定された児童ポルノ禁止法において、与党案のマンガやアニメなどの創作物も規制対象とする目論見が頓挫したのは、山田の功績と記して間違いない。そして、オタクの期待に応えるかのように、コミックマーケット開催時には、会場近くで演説も行うようになった。

 そんなオタクからの期待とは裏腹に、山田の国会議員としての地位は危うかった。14年11月、衆院選への方針をめぐって内部対立の深まった「みんなの党」は解党を決定。山田は新たに松田公太参議院議員が立ち上げた「日本を元気にする会」に参加する。党勢は、まったく芳しくなかった。結成から1年も経たない15年12月には国対委員長の井上義行が離脱。翌年に参院選を控えて所属議員は5人以下となり政党要件を喪失することとなった。

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