華山みおの物語探索 その62

『凪待ち』誰にでも起こりえる人生の転落…自分とは違う誰かの物語だけど絶対的に近くに存在する物語

 今回は、白石和彌監督作品『凪待ち』をレビューします。

 毎日をふらふらと無為に過ごしていた郁男は、恋人の亜弓とその娘・美波と共に彼女の故郷、石巻で再出発しようとする。少しずつ平穏を取り戻しつつあるかのように見えた暮らしだったが、小さな綻びが積み重なり、やがて取り返しのつかないことが起きてしまう―。ある夜、亜弓から激しく罵られた郁男は、亜弓を車から下ろしてしまう。そのあと、亜弓は何者かに殺害された。恋人を殺された挙句、同僚からも疑われる郁男。次々と襲い掛かる絶望的な状況を変えるために、郁男はギャンブルに手をだしてしまう。

 白石監督の『凶悪』という映画を観た時の衝撃が忘れられません。面白くて何度も繰り返し観たくなる類の映画ではなく、観ている間ずっと息をつめて緊張を強いられるような重圧を感じる映画ですが、言葉に置き換えることができない衝撃を与えられた映画であり、いまも折に触れて観返しています。『凪待ち』も、動揺の衝撃を与える作品でした。

 「誰が殺したのか? なぜ殺したのか?」というのがポスターに記されたコピーでした。しかし、映画を観ると本当のテーマはそこではないように感じました。もちろん、作中で主人公郁男の恋人・亜弓が殺されてしまうのは大きな事件です。そこに至るまでのふたりのやり取り、最後に交わした言葉、だからこその痛みがあります。

 作中何度も、本当に何度も郁男に【最悪】が襲い掛かかります。もともと郁男はギャンブル依存症の気があり、恋人のヘソクリに手を出すようなダメな男です。その彼女ともずるずる関係を続けているけれど「結婚しよう」のひと言も言えないし、お酒も飲んじゃうし、定職にもつけないし……とダメ男っぷりは生まれながらなのかもしれません。

 しかし、亜弓のことは口に出さずともずっと大事に思っていたし、仕事を立て直す気持ちもちゃんとあって、きちんと勤務もしていました。それなのに殺したのではないかと疑われ、会社からお金を盗んだと疑われ、競輪に社員を誘っている……とも疑われるのです。

 ただでさえ大事な人が殺されて、どうにもならない気持ちになっているときに周りからこんな風に疑われたら、人はどうなるでしょう。私は郁男の取る行動がどうしても他人事に思えません。信じてもらえない辛さ、いつも信じてくれる人がもういない心細さ。寄る辺のない不安。

 近くに没頭できてしまう競輪というギャンブルがあったのが、さらに郁男を窮地に追い込んでしまいます。普通の競輪場ではなく、そこはなんとヤクザが運営する違法の賭博施設です。亜弓が残したヘソクリも、亜弓の父・勝美が工面してくれたお金も、全て競輪で溶かしてしまいます。ダメだ、ダメだと思ってものめり込まずにはいられないあの姿が苦しくて苦しくてたまりません。

 白石監督の映画を観ていて毎回苦しいような不安なような、言葉にできない気持ちにさせられるのは、【自分がいつどこで、同じような立場になるかわからない】と思わされるリアリティがあるからだでしょう。『凶悪』のときは、リリー・フランキーさんやピエール瀧さんに殺される被害者たちが身近に思えすぎて怖くて、今回は郁男のことが身近に感じられすぎて怖かったです。

 郁男に起こる【最悪】は自分にも起こりうること。郁男が取る自暴自棄な行動や身近なギャンブルに逃げ込むような行動も、自分にも起こりうることです。周りの人がただただ優しくて涙を流すことも起こりうることです。色々なことが、いつかの未来の自分と重なる気がしてずっと胸が痛かったのです。

 ひとつ足を踏み外したり、何かのきっかけでギャンブルにはまったり、暴力沙汰に巻き込まれるかもしれません。そんな生活とは無縁だと思っているかもしれないけれど、絶対にないとは言い切れないから怖いのです。

 そう思わせてしまうだけのリアル感がこの映画にはあります。それは白石監督作品だからなのか、主演を務める香取慎吾さんの芝居ゆえなのか……。

 香取慎吾さんのイメージは、やっぱりアイドルとしての歌やダンス、バラエティー番組でのとびっきりの笑顔です。今作の中では一度も笑いません。無表情に近い真顔か、泣き顔か、苦しそうな顔ばかりです。笑顔を見知っているだけにそれが全く映らないのは寂しいですが、この役が香取さんだったことで、その説得力が増しています。あの表情ひとつひとつが心を叩きにくるのです。

 リリー・フランキーさんって、どの映画に出ても持っていきますよね。今回の役もすごかったです。なんか、「あーーー!クソーーー!」ってなりました。でもこの役もリリーさんにしか出来ないでしょう。ひょうひょうとした胡散臭さが最高です。

 物語の最後、石巻の海の中に津波で埋もれた生活の跡が映されます。「津波のおかげで新しい海になった」という言葉は、実際に監督が地元の方に言われた言葉だそうです。海にある物を流した郁男が、そこから新しい道を踏み出す希望を感じさせる描写に感じられます。タイトルの『凪待ち』のように、その心が落ち着いていくことを願わずにはいられません。

 自分とは違う誰かの物語。だけど絶対的に近くに存在する物語。ぜひ劇場で観てください。
(文=華山みお)

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