昭和と平成を駆け抜けた津田広樹の回顧

薔薇族だった時代 ~新宿の巴里祭と褌青年の真っ赤な絵~ 第18回

薔薇族だった時代 ~新宿の巴里祭と褌青年の真っ赤な絵~ 第18回の画像1撮影:津田広樹

 新宿三丁目に2010年まであった、キャパ2062の音響効果が抜群だった大ホール・東京厚生年金会館。その左隣にいまもある新宿Qフラットビル(画像は今年5月撮影)の2階に上がって直ぐ左側に、かつて美輪明宏さんのお店(クラブ)「巴里」が、あり同じく2階の奥に 「伊藤文學の談話室 祭」があった。

 現在は、残念ながらどちらのお店もこのビルに存在しない。美輪明宏さんのお店は大人のお店だったので、当時学生だった私は行けなかったが、「祭」には何度も行った。薔薇族のバックナンバーを読むこともできて、コーヒーだけ飲んでもゆったりできた広い喫茶店だった。軽食メニューもあったので、食事をしてゆったりした記憶もある。

 伊藤文學氏と数ヵ月前に「祭」の懐かし話しをして、美輪明宏さんのクラブ「巴里」と 伊藤文學氏の「祭」を併せたらなんと「巴里祭」になることを知った。当時はシャンソンなどに興味ない若僧だったから気付かなかったが、いまならこのお洒落な併せたが理解できる。階段を上がり、「巴里」の看板をかすめ、「祭」の扉を7月に開けたなら、「巴里祭」のフランス気分になれるだろう。トリコロールのお洒落な飾りつけをしたりして・・・。

薔薇族だった時代 ~新宿の巴里祭と褌青年の真っ赤な絵~ 第18回の画像2

 私が「祭」に行っていたの頃は祭後期だった気がするが、薔薇族にも絵を掲載されてらした田所大介氏がお店にいらして、色んな話をした。しかし店内で、オーラを放っていた畳一畳程の褌青年の真っ赤な絵は、長谷川サダオ氏の作品だった。

 長谷川サダオ氏とも薔薇族編集の仕事をしていた時代(祭クローズ後)に、喫茶店で何度か話しをした。独自の世界観の絵画を描き続けていた長谷川サダオ氏のことをいま思い出すと、良い意味でいつ寝て、いつ起きてるのか分からず、年齢すら想像できない仙人のような波動を持つ人だった。

 「祭」に飾られていた長谷川サダオ氏の褌青年の真っ赤な絵は、「祭」が、クローズしてから伊藤文學氏が第二書房の白いビルの2階の大広間に飾ってらした。しかし、ビルの取り壊しに伴い手放された。現在は、私設美術館「荻崎正広コレクション」ゲイ・アートの家(鳩ヶ谷市)に飾られている。
(文=津田広樹)

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、昨年に全ての映像ソフ トのレーベルを手離す。しかし長年にわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

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