華山みおの物語探索 その57

『ウィーアーリトルゾンビーズ』いつまでが子供であり、いつから大人なのだろう…懐かしさがこみ上げる新感覚映画!

2019.06.22

 面白い映画を観たよーーーー! 今回は、長久充監督の映画『ウィーアーリトルゾンビーズ』をレビューします。

 「第33回サンダンス映画祭」日本人初グランプリ獲得長久允の長編デビュー作。まるでゾンビのように感情を失った少年少女たち。音楽バンド“LITTLE ZOMBIES”を結成した彼らは、やがて予想もしない運命に翻弄されていく——。

 青春の一歩手前、13歳。両親の死という子供の世界を一転させる出来事に涙も流れず、感情も動かない4人が出会います。

 終始ゲームのように色鮮やかな色彩と、彼らの目線に近く、かつ俯瞰という不思議なカメラワークで本当に自分がRPGをプレイしているように感じる構成。そしてBGMはファミコン時代のゲーム音楽のようなのが終始バックにかかっていて、今まで見てきた映画とは全く違う印象を与えます。

 両親をどのように亡くしたのかが語られるエピソードは衝撃的なのに、彼らはつまらない日常のひとつのことのように淡々と話すんです。そしてファミコン時代のゲーム画面のように終始画面がガチャガチャしているので、起こっている内容が重たいものでもなんだかポップに受け止められます。

 そもそも感情ってなんなんでしょう。小さい頃考えてたことってなんで忘れてしまうんでしょう。覚えている感情は断片的で、すっかり大人になってしまった感がします。

 長久充監督は、もともと広告を作っていた方だというのを鑑賞後に知り、色々なことが腑に落ちました。ステージ毎のキャッチーなシーンや印象に残りやすいカット、小気味いいセリフの数々……。作り方が、なるほど、CMを彷彿させました。

 イクコをはじめ、彼らが作中何度も連呼する「キッモ」「だっさ」というワードも、映画を観た後に口に出したくなるインパクトを残しました。

 子供が大人をどんな風に見ているか。世間をどんな風に見ているか。大人が作った作品だから多少の偏見はある気もするが、作った大人もかつては13歳を通っいます。通じる部分も大いにあり、大人が鑑賞すると胸にくる部分も多いでしょう。

 特に私の鳥肌ポイントが、彼らが街中を逃走する際のシーン。大人たちはどんなに周りが騒いでもスマホだけを見て動き周り、彼らの行方を阻みます。リトルゾンビーズの彼ら以上に、ゾンビに見えました。満員電車に揺られる社会人は、子供からみるとああ見えるのかとハッとしたし、私も多分あのゾンビのひとりになっているのでしょう。

 「バカだから、大人は」と言われている作中の大人たちの描かれ方は、確かに滑稽だ。葬式で涙も流されなかった各両親達も、彼らの周りにいた大人たちも、それぞれに彼らを心配して、彼らなりの愛を持っているのが伝わってきているのに、それが届かないという大人の悲しさも見え隠れしています。

 いつどこから、大人と子供の境界線ってできるんでしょう。子供の世界、子供の視野をみんなもっていたはずなのに。作中に何度も、知っているのに思い出せないみたいな気持ちにさせられてムズムズしました。

 そしてそして、この映画を観ようと思ったきっかけとなるこの映画のメイン楽曲『WE ARE LITTLE ZOMBIES』。最初は「ん?」と思った程度だったんですけどその「ん?」が曲者。中毒性がやばい。この感情の乗らない歌声とコーラス。「うぃーあーうぃーあーりとるぞんびーず」というパートがどんどん気持ち良くなっていくんです。ボーカルのヒカリ役の二宮慶太くんの声変わり前の歌声が最高です。これ生で聞ける期間めっちゃ限られていますよね。声変わり前の男子の声は宝物です。

 最後の最後まで、私たちは子供たちを見ています。だけど、彼らが私たちに見せてくれていたのだ、とハッとさせられました。大人は子供にはかないません。それが彼らの視線から気付かされたとき、私たちはLITTLE ZOMBIESの手中に落ちているということなのです。

 ブラックユーモア・冒険・友情・歌・謎・逃亡・青春……美味しいところが全部ぎゅっと詰まった、懐かしいけど完全に新しいこの映画。劇場で観ないと絶対後悔します! ぜひ、映画館に足を運んでください!
(文=華山みお)

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