昭和と平成を駆け抜けた津田広樹の回顧

薔薇族だった時代 ~ゲイ向けソープランドとチン拓の話~ 第10回

薔薇族だった時代 ~ゲイ向けソープランドとチン拓の話~ 第10回の画像1撮影:津田広樹

 私立男子校に通っていた私は、ある女性アイドルのファンで、カメラ小僧だった。隠れて薔薇族を見ていたが・・・。

 そんな中学3年生のときに学校をさぼり、女性アイドルのイベントに行った。当時、大船にあった撮影所で女性アイドルの主演映画の記者発表イベントにファンもご招待といったものだった。イベントが終盤に差し掛かった頃、正面に同級生(しかもヤンキー)がいることに気付き焦った。イベント終了後、ファンが会場を去りきるまで物陰で待っていると、同級生が現れ「帰ろうぜ」と言った。しばらく無言で一緒に歩いていると、同級生が「お前もファンだったんだな、俺の家に遊びに来いよ」とすぐに意気投合し、同級生の家に向かった。懐かしい思い出だ。

 同級生の家は、堀之内(川崎市)でトルコ風呂(いまのソープランド)を経営していた。ちなみにいまのソープランドという名称になったのは、東京大学で学んでいたトルコ人留学生が、当時の厚生省にトルコ風呂の名称変更してと訴え出たのが事の発端だ。それで大問題となり、 東京都特殊浴場協会が名称公募し、1984年12月19日にソープランドと改称された。

 ゲイ専用のソープランドは、1981年(時代的にトルコ風呂名称だが)に新宿二丁目のランドマークだったラシントンパレス二階にオープンした「アクロポリス」ともう一件、少し離れた場所に「ハピネス」という店があった記憶がある。アクロポリスに興味があった私は、オープン直後に店を訪れた。ボーイと同年代だったため「募集の面接の方ですね」と言われてしまった。すぐに大学生バイ トと仲良くなり、オーナーを紹介してもらい、薔薇族の話をすると広告を掲載されていたこともあって快くバイトへのグラビアモデルスカウ トを承諾してくれた。

薔薇族だった時代 ~ゲイ向けソープランドとチン拓の話~ 第10回の画像2

 いま思うに私は薔薇族のグラビアモデルスカウトに、この店に行っていた気がする。この店は、ANB(テレビ朝日のかつての略称)の深夜番組トゥナイトでも紹介されていた。この店の大学生バイトの中で、一番大きいモノを持っていた大学生が薔薇族カラーグラビアモデルをOKしてくれた。

 若いイメージの薔薇族になって高い評価を得ていたので、私はさらに若いカラーグラビアにしたくなった。そこで、この大学生のチン拓をカラーグラビアページに掲載しようと考えた 。MAX状態を維持して魚拓のようにきれいに紙に型押しするのは、簡単な作業ではなかった。大学生が何枚も失敗しつつ、なんとか印刷できる型押しが出来た。薔薇族カラーグラビア巻頭に掲載されたチン拓は、若さをアピール(?)してピンク色印刷にした。

 その掲載号は薔薇族125号(83年6月号)だったが、この頃の薔薇族は私の発案で、表紙を開くとカレンダーになるピンナッ プポスターが綴じ込みになっていた。とても好評だった。私のアイディアを伊藤文學編集長が「いいねえ~」と、若い感性で承諾してくださったこともあり、82年から83年頃の薔薇族は、最高峰と言われていた。
(文=津田広樹)

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、昨年に全ての映像ソフ トのレーベルを手離す。しかし長年にわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。 

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

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