まる寝子 ルポルタージュ

性別を越境するエロマンガの現在 TSFを描き続けて来た描き手・まる寝子の十余年

 数年間のアシスタント生活の後、マンガ家にはなれないまま、まる寝子は就職をした。就職先はデザイン事務所。発注主の注文に応じてデザインを仕上げていく、いわば普通の会社勤め。小さな会社で、モデラーでもある社長はオタク。会社に当時流行してた『週刊わたしのおにいちゃん』のフィギュアを並べたりもしていた。オタクな話を聞かされることもあったけれど、まったく興味がわかなくて聞き流すばかりだった。

 そんな数年間を過ごしていたある日、ふっとマンガを描きたくなった。なにか人生の転機となる出来事があったわけではない。もしかすると、過ぎ去っていく日々の中での焦燥感がどこかにあったのかも知れない。とにかく無性にマンガが描きたくてたまらなくなった。マンガを描くためには、まず、どうすればいいだろう。最初にやったのは、会社を辞めることだった。

「冗談だよね?」。まる寝子が「マンガを描きたいので辞めます」と告げると、同僚や上司は信じられないという顔をした。誰も本気にはしていなかった。忙しいのに悪い冗談だと思っていたが、次第に、それが本気だとわかると唖然とした表情を浮かべたのだ。

「最近は、働きながらマンガを描いている人も珍しくないじゃないですか。でも、自分はそうじゃなかった……きっと両立できずに仕事もマンガも中途半端になっちゃうんじゃないかと思った……」

 カレンダーは2005年。季節は、そろそろ夏が終わろうとしていた。愛知万博の開催されたこの年は、1990年代から続く昏い時代の中で、世の中が変わろうとしていた年だった。9月に実施された第44回衆議院総選挙は、小泉首相が郵政民営化を推し進める政策を国民に問うものだった。自民党内の抵抗勢力をも排除した小泉率いる自民党は圧勝し、郵政民営化は決定事項となった。「ちょいモテオヤジ」だとか「富裕層」が流行語となるような世の中を横目に見ながら、まる寝子は机に向かい、なにを描こうかと考えた。テレビでは『電車男』のドラマが放映され、サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」が流れていた。

 最初に描いたのは、四コママンガだった。四コママンガは、その数年前から大きく変化を見せていた。1999年から「電撃大王」で連載された、あずまきよひこの『あずまんが大王』がヒットしたことで<萌え四コマ>と呼ばれる新たなジャンルが生まれていた。

 当のオタクでさえ、そのような流行に乗ったものは長続きしないと考え、可愛い絵柄だけを売り物にした<萌え四コマ>によい感情を持つものは少なかった。その否定的な見方は数年のうちに塗り替えられた。2002年には「まんがタイムきらら」が創刊され、次々と作品が生み出された。誰も冷笑するものはなく、その新たなジャンルを楽しむようになっていったである。

 そんなジャンルの作品を描き、同人誌として一冊にまとめた。四コママンガを描こうと思ったのは「きらら系とかは、楽そうに見える」というだけの理由だった。

 最初に同人誌を並べたのは、創作系の同人誌即売会「コミティア」だった。パロディを禁じ、それぞれが描いたオリジナルの作品が並ぶ即売会。東京ビッグサイトの東ホールには、開場と共に大勢の来場者が入ってきた。自分の作品はどれほどの人が手に取って、評価をしてくれるのだろうか。淡い期待をしながら、硬いパイプ椅子に座っていた。

 にぎわいの時間が続き、閉幕までの数時間の間に認識の甘さと厳しい現実を思い知らされた。

「初めての同人誌は100部印刷したんだけど、売れたのは16部。それでも知り合いからは<ああ、売れましたねえ。ふつうは一部も売れないですよ>と……」

 同人誌のことを即売会になれた人たちは俗に「薄い本」と呼ぶ。商業出版される単行本多くは百数十ページあって500円。どんなに高価でも1000円程度である。対して、少部数の同人誌は20ページで500円。それで刷った部数の大半が売れて、ようやく印刷費や諸費用に足りる程度である。それでも、なにかの温情で購入してくれるような人はまずいない。みんな限られた財布の中身と相談しながら吟味して買う。それが同人誌即売会という場である。

 完全な赤字だった。容易に儲かることはないだろうとは思っていた。でも、わずか16部しか売れなかった事実は、自分の立ち位置というものを痛いほどに知らしめてくれた。

「今になって考えると当然。ほとんど素人が参加したようなものだしね。それまでは、晴海の頃に友達に誘われてコミケにいったことはあったけど……同人誌なんて買ったことはなかったし。それにマンガもそれなりにしか読んでなかった」

 それでも、手を差し伸べてくれる人がいた。mixiで知り合いだった先輩の同人誌作家が、エロを描くことを薦めてきた。「ぼくは冬コミ出るから、そこに置いてみたらどうか。そう、エロを描くといいよ」と。

「エロはなにを描こうと思った時に、四コマと並んで思いついたんだけど、どこか難しいような気がして……」

 厳しさに打ちのめされた感情を抱えながら、一念発起してエロを描いた。その頃人気だったオンラインゴルフゲーム『スカッとゴルフ パンヤ』の二次創作だった。好きなゲームでもあり、これなら何とかなりそうだった。だが 、試行錯誤は続いた。まず躓いたのは、男キャラを出すことだった。

「たまたま、好きな作家の黒龍眼さんの作品を読んだら、ふたなりレズもので、これいいなと思ったんです。それに、マンガはそんなに書いたことがないから、練習は欠かせなかったけど、どうしても男キャラを描くのがおっくうで……ふたなりなら、そのへんを考えなくていいと思って」

 その年の冬は例年よりも寒かった。寒さに震えながら黎明の中を、東京ビッグサイトへと向かった。りんかい線の国際展示場駅を降りると、スタッフの案内の声が響く中を、ぞろぞろと人が歩いていた。遙か彼方までずっと視界が人で埋まっていた。この中の何人が、自分の作品を手に取ってくれるのか。そして「一部ください」といってくれるのか。

 決して多くは望まなかったが、コミティアの時よりは売れた。

 

「うちで描きませんか?」

 キルタイムコミュニケーションの編集者に声をかけられたのは、2007年のことだった。「あの頃のキルタイムコミュニケーションは描き手が足りてなかったから」と、まる寝子は自嘲する。

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