まる寝子 ルポルタージュ

性別を越境するエロマンガの現在 TSFを描き続けて来た描き手・まる寝子の十余年

 23区北部の味のある下町。私鉄駅から歩いて五分ほどの喧噪を抜けた先にある、まるでヨーロッパみたいな老成した雰囲気のコーヒーハウス。そこへ出かけていったぼくが、席について鞄を開けるのを躊躇した。無理もない。このコーヒーハウスは下町の喧噪を忘れる一時の憩いの場で、老婦人たちは店の雰囲気にあわせて少し気取った感じで世間話に花を咲かせているのだった。

 ときどき、コーヒーの焙煎機の音がする。この道何十年の経験があるのか老成した感じの店主は真剣な顔でコーヒーを注いでいる。いかに胆力があっても、この雰囲気の中で付箋を貼り付けて持参した極めて色気のある女の子が描かれた表紙の単行本を出すのは気が引ける。ああ、でもそこに躊躇していて取材ができるんだろうか。

 ひとまず裏表紙のほうを上にして単行本はテーブルの上。それから、レコーダー。「まてよ」。そうだ、表紙に描かれているのは女の子。でも、それが女体化した男だった時、その存在は男なのか女なのか……。また、新しい疑問がグルグルと頭の中で回っていく。

 そう、取材相手を待つ時間。たいていは書き留めた質問用のメモを確認したり、相手の著書に目を通すもの。でも……なんだか店の雰囲気がそうさせてはくれない。じゃあ、ドーンとテーブルの上の<18禁>と書かれたエッチな本を並べても、なんの違和感も持たれない店や地域がどこかにあるのか?

 大なり小なり、なんらかの衝撃は与えるものである。だって、そうでなくては読者を興奮させることなんてできはしないのだ。席についてから十分ほどあれこれと思案していると、まる寝子はやってきた。

 書いている作品からは、作者の性別は窺い知れない。きっと男性が描いているのだろうとは思うのだけれど、極めて女性的な雰囲気に満ちている。時にファンシーになる舞台設定。女の身体を得て揺れ動く少女マンガのような心情描写。作風のままに、まる寝子は温かみのある空気をまとった人物だった。ふと興味を惹かれるのは真剣なまなざし。

「ぼくも、今日は作品がどんな風に読まれているのか、感想とか聞きたくて来たんです」

 この一言に、こちらが救われる。ともすれば取材は一問一答。作家先生然とした相手に
「聞かせていただく」ことになる。そうなれば、取材はどんなに充実しても失敗。充実した語りをした上で、作家先生は思うのだ。「オレの楽しい話を上手にまとめてくれよ、ライターくん」。

 それとは正反対の、まる寝子。コーヒーを楽しみながら話はあっちこちに脱線し、尽きることはなかった。ここで、ぼくがまず記さなければならないのは、まる寝子が常に前を見ている描き手であることだ。

 これまでの作品は、初期の同人誌を除けばおそらく余すことなく目を通してきた。そこに描かれたことから話を切り出そうとするが、まる寝子は過去の作品のことを、さほど覚えていないのだった。そして、少し申し訳なさげに「なにか、人生で大きなきっかけがあったわけじゃいし……」という姿にグッと引き込まれた。

 もしも、まる寝子が凡庸な描き手ならば「この作品はこうで、こんなことを考えて〜」と、作品の内容以上に作品を語り出す。その上で他人がしていないような経験があることを誇示しようと試みるものだ。そんな態度は刹那もなくて、過去はとうに過ぎ去ったものとして、今描いているものや、これからのことを語るのだ。 

 それでも、すでに十数年以上、マンガを描くことで糧を得ている。それも、多くはTSFで。そこにはなにかの今につながる魂のほとばしりがあるのではないかと、幾度か尋ねる。最近熱心に通っているブラジリアン柔術のトレーニングのエピソードを聞いたりしているうちに、人生史はぽつりぽつりと、滲みだしてくる。

「高校の時はバンドもやってたんだ……うん、小学生の時から<アース・ウィンド・アンド・ファイアー>が好きで。そう、イトコがマイケルとか聞いててブラックミュージックが好きになって……」

 きっとその時から、世間の多数派と同じレールの上を歩んでいくような人生とはちょっと違う方向へ、ポイントを切り替えていたはず。でも、そのことは多くは語らない。「子供の頃に、絵を描くのは好きだったけど」とはいうけれども。ただ、オタク趣味のほうには、あまり引き寄せられなかった。

「当時は自分も気取り屋だったから。美大にいって油絵をやろうかなと思っていたから」

 都内に生まれ育って、美大にいきたいと思うと、選択肢は自ずと決まってくる。東京芸大、武蔵美、多摩美、それでだめなら東京造形大。それでもだめなら……といった感じ。

 机にかじりつくような受験勉強とは、ほぼほぼ無縁。美大のための予備校に通って実技試験のために腕を磨く。毎日毎日、寝ても覚めても繰り返されるデッサン。今日はトルソーを、次の日はバスケットに入ったフランスパンと花。その次の日はバスケットの中身がワインの瓶になる。カルトンにマスキングテープで貼ったケント紙を画架に立てかけて一言も発することなく、ただデッサンを繰り返す。

 誰も一言も発することなく、静寂が続く。鉛筆を削る音も気にならなくなり、五感はただデッサンのためだけに研ぎ澄まされる。そうして短い青春の時間を費やしても、春は訪れない。どうしてもいきたい大学のために八年間浪人を繰り返している人。武蔵美には合格したのに、どうしても東京芸大にいきたいからと、また浪人している人。それまでみたことがなかったような出会いが、そこにはあった。

 そうして青春の一時を費やしたけど、まる寝子は美大にはいかなかった。知人から「マンガ家のアシスタントに興味はないか」と誘いがあったからだ。

『えの素』などシュールなギャグマンガで知られる榎本俊二のもとで、数年間を過ごした。漠然とマンガ家になろうかとも考えたが、漠然とした夢のままで作品を描き上げて、それを編集者が認めてくれるような甘い世界ではなかった。過去を思い出しながら、ふと振り返るようにしながら「美大にいかなかったこと、今は後悔しているけど……」。

 でも、美大にいっていたら、今のまる寝子の作品群は生まれ得なかった。まる寝子の作品の特徴に、ふいに差し込まれるシュールなギャグシーンがある。突如、登場人物がデフォルメされた表情をしたり、あちこちの作品に登場する丸顔のメガネのギャグキャラクターなんかも存在する。

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 その一瞬の間の取り方が、緊張感を解きほぐし作品世界へ没入させてくれる要素ともなる。それは、アシスタント時代の経験が生み出したものに思えてならない。だから、そのキャラのことを問うと、まる寝子は嬉しそうにいった。「好きなんですよ、彼」。

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