薔薇族だった時代 ~あるモノクロ写真の告白~ 第9回

薔薇族だった時代 ~あるモノクロ写真の秘密~ 第9回の画像1撮影:津田広樹

 薔薇族のモノクログラビアは、カラーグラビアでは味わえない興奮 を読者に発信できたと自負している。そのひとつに、高校生時代の私が撮影してずっとあたためていたモノクロ写真があった。薔薇族に掲載された昭和から平成が過ぎ令和になったいま、このコラムで初めてカミングアウトする。

 私が最初に男性の全裸を撮影したいと感じたのは、小学1年生の時だった。今は亡き父が勤務していた工場の慰安旅行に連れていってもらい、父に手を引かれて海岸を散歩していたときに、ダイバーの男性数名が黒いウェットスー ツを人々に丸見えの海岸で、堂々と脱いで着替えていた。道路際の露天風呂でも水着無用な昭和の話だから、海岸での全裸着替えも決して珍しいことでは無かったのだが、まだ7才の私には全裸着替えの男性たちが彫刻のように美しく見え、写真に残したいと感じたのを覚えている。しかし子供がカメラなど持てない時代だから、目に焼き付けるしかなかった。

 8年が経過した高校1年生のときに、突然自分が撮りたかった場面に遭遇した。私が通っていた高校は、中学から高校が男子校で、大学が隣接していた。坂の途中に建っていた学校の二階部分に、屋上プールがあり石段の観客席があった。観客席の後ろには美術室や図書室がある3階建ての建物があり、教室は別の建物だったので、プールを見下ろせる建物には人気がなかった。

 昼休みにたまたまプールを見下ろせる窓際に行ったら、10月だというのに大学のダイビング部がプールを使っていた。ウェットスーツを着てボンベを背負って、水の少ないプールで泳いでいた。このプールに更衣室はない。私はウェットスーツを脱ぐ時間が知りたくて、何度も休み時間にプールを見に行った。 一度親友がついてきてしまい、「何でこんなの見てんの?」 と聞かれたが、適当に交わした。結果、5時間目の休み時間に着替える確率が90%と判明した。

 金曜日が、5時間目迄しか授業がなかったので、マジソンバック(※1960年代後半から70年代後半にかけて学生に大ヒットしたビニール製カバン)にカメラを忍ばせ、プールが見下ろせる場所に張り付いた。

「1年生、先にボンベをかたずけろ!小学生じゃないんだか らタオル巻くんじゃねえよ、フリチンで着替えろ!」

薔薇族だった時代 ~あるモノクロ写真の秘密~ 第9回の画像2

 そう怒鳴って いた四年生らしき先輩の男性が、天使に見えた。その天使のおかげ でプールサイドの全裸男子大学1年生を上から撮影できたのだ。この写真をいつか世に出したくて16才からずっとあたためていて2 2才で、薔薇族のモノクログラビアに発表できた。その発表のやり方にも私のこだわりがあった。

 学生の臨場感を読者に味わって貰いたくて、バインダーノートに現国や古典と記入して開いた状態でコピーをし、その上にあたためていた写真をレイアウトした。こんなリアルな掲載ページは未だかつてなかったので、薔薇族読者に絶賛された。ほくそ笑んだ自分がいた。
(文=津田広樹)

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、昨年に全ての映像ソフ トのレーベルを手離す。しかし長年にわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。 

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

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