昭和と平成を駆け抜けた津田広樹の回顧

薔薇族だった時代 ~文學氏の教えとグラビアへのこだわり~ 第8回

撮影:津田広樹

 薔薇族1983年、新年号の巻頭カラーグラビア9ページを任された。知人が、撮影可能なプールを紹介してくれて、イケメン(当時はイケメンなんて言葉は無かったが)大学生ライフガード君の競パン姿を撮影した。

 モデル経験のない大学生だったので、ポージングも私が指示した。特に表紙を開いた最初の大きな写真は重要なので、姿勢・両手の位置・脚の曲げかた、顔の角度・目線……完璧にチェックした。ブルーのプールの空間に載せるハッピーニューイヤーのデザイン英文字は、インレタを画材屋さんで、時間をかけて選んで購入した(パソコンが無かった82年 は全て手作りで印刷所に渡していた)。しかしインレタが高額な時代で、何枚か選ぶと直ぐに1万円になり経費立て替えが無くて(プロダクシ ョン勤務時代は経理に立て替えを頼めた)文学氏に言うと、「立て替え金が1万円ないんじゃしょうがないな~」と仰ったが30秒後には、「でも若い津田君が1万円無いのと僕が1万円無いのとは違うからな」と1万円を渡してくださった。この時の文学氏の考え方を私は、その10年後に自社を立ち上げてからずっと受け継いでいる。

 巻頭カラーグラビアの裏話に戻る。83年はまだカセットテープの時代だったので、薔薇族では初の試みとして、表紙を開いた誌面にカラーグラビアモデルの競パン姿の写真を使用したカセットレーベルを印刷してみた。切り取らないとカセットレーベルとして使用できないのだが 、「切り取るから二冊購入しちゃいました」「アイドル雑誌みたいで楽しい」等の声をいただいたので、成功したと言えるだろう。カラーグラビア9ページ中、モデルの競パンカットは合計12カットで、いま自分で見てもアイドル雑誌のように撮影し、レイアウトしていると感じた。

撮影:津田広樹

 実は、カラーグラビアの最後に1ページどうしてもやりたいことがあった。

 南国のリゾートプールで泳ぎ疲れ部屋に戻りベランダに競パンを脱ぎ捨てた午後・・・。これが私のイメージであった。そこで当時、私が住んでいたマンションのベランダに白い紙を置いて、東急ハンズで買った作り物の椰子でシルエットを作って撮影した。

 自分では満足する完成度で、知人たちも絶賛してくれた。しかし手厳しい藤田竜氏にだけ「印刷代もかかるんだからパンツで1ページ使わないで」とダメ出しされた。しかしこのパンツ物撮り演出のラスト写真は、今でも必須だったと自信を持って言える。
(文=津田広樹)

 

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、昨年に全ての映像ソフ トのレーベルを手離す。しかし長年にわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。 

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

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当時BLゲーがあったらやっぱり特集したんでしょうかね

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