昭和と平成を駆け抜けた津田広樹の回顧

薔薇族だった時代 ~父とカメラと薔薇族と~第7回

薔薇族だった時代 ~父とカメラと薔薇族と~第7回の画像1五歳の芳和君(撮影:伊藤文學)

 心臓病の医療技術が現代ほど無かった1965年に、第二書房から発刊された伊藤文學氏と妹の伊藤紀子氏の共著のノンフィクション『ぼくどうして涙がでるの』。心臓病の手術前に泣いた患者は病室に戻ってこられないというジンクスがあるという。悲しくないはずの五歳の芳和君(心臓病患者)が、手術前になぜかあふれてくる涙に「ぼくどうして涙がでるの?」と問いかけたこのノンフィクションに涙しない人はいないと思う。

 日活で1965年に、十朱幸代さん主演で映画化された。今年4月に伊藤文學氏とお会いして、このコラムに掲載する写真をお借りするために文學氏のア ルバムを一緒に見ていたら、文學氏が「これは僕が撮影した芳和君だよ、良く撮れてるだろ」とおっしゃった。私は、カメラマン目線で、その写真に引き込まれた。

 54年前に撮影した病室でピノキオの人形を見つめ自然に微笑む芳和君。もし彼が存命なら まだ59才なのか…と思うと胸が締め付けられる。しかし33才の頃の文學氏が、撮影されたこのモノクロ写真から生きる力を貰えた気がした。

 私がカメラマンになったのは、中学生のときに今は亡き父のカメラを無断で持ち出して、女性アイドルの新曲発表会のためデパートの屋上に行き、撮影した写真が昭和のアイドル月刊誌に掲載され、高く評価されたのがルーツだ。父がカメラの趣味を持っていてくれたことに感謝している。父も生前に、私の写真が雑誌掲載されたことを喜んでくれた。

薔薇族だった時代 ~父とカメラと薔薇族と~第7回の画像2

 文學氏のアルバムを見ていてもう1枚、素晴らしい写真をお借りした。文學氏が「僕が父と一緒に写っているのは、この写真だけなんだ」とおっしゃったモノクロ写真だ。私の知らない大昔の木造の第二書房の前で、文學氏とお父様がおふたりで笑顔のベストショットである。

 薔薇族編集部に勤務していた時代に私は、何度かご自宅で着物姿の文學氏のお父様にお会いしたことがある。いつも笑顔のお優しい方だった。文學氏が昨年「父は僕が薔薇族を編集していたことを良く思ってくれていたのだろうか。聞いたことがないから分からないな」とおっしゃっていたが、私はゲイの人のための本をゲイでない文學氏が作り、ゲイの読者が生きる力を得ていたことを、お父様は良しとしていたと確信している。なぜそう言い切れるかと言うと、一度だけ休日に急ぎの原稿を文學氏のご自宅に届けたとき、文學氏が留守であった。文學氏のお父様が着物姿で玄関に出てきてくださり、笑顔で「ご苦労様、どうもありがとう」と受け取ってくださったからだ。

 そしていま、87歳の文學氏が、毎日外出される際にお父様の形見の杖を使われていることに感動している。
(文=津田広樹)

【津田広樹プロフィール】
 いわゆる80年代アイドル全盛の時代にスチール撮影のみならず、その多才さを認められてグッズ等の企画発案にまでもマルチな才能を発揮したキャリアをもちながら、あらたなる新天地として当時の有力ゲイ雑誌であった薔薇族の出版会社に編集部員として転身。その後もさらにその非凡なる才能の昇華は衰えを知らず、グラビアや企画ページ等にも幅ひろく手腕をふるい、多くの絶賛を得るまでにおよぶ。そして1996年にはゲイ業界初の試みであった3D写真集付き映像ビデオ、ジャック・リードを発売し世に送り出した。
 さらにオリジナル競パン付きDVDの発売など革新を起こし続けるも、昨年に全ての映像ソフ トのレーベルを手離す。しかし長年にわたり不変的な価値観を持ち続ける津田広樹の世界観は色褪せることのなく、その真価を現在も世に問い続けている。 

●津田広樹Twitter
https://twitter.com/hk8efj4xx3zxkim

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