華山みおの物語探索 その46

『愛がなんだ』人間の持つ永遠に謎で究極の力…愛とは一体何なのか? 超話題作レビュー!

 昔から「好きになったほうが負け」と言われますが、もう「好き」って思っちゃったら動かせないんですよね。バカだなって分かってても。

 テルコと同じように、葉子を好きなのをやめられなくて、体のいい使いっぱしりのように扱われているナカハラくん。「幸せになりたいっすねぇ」とテルコと言い合いながらも「葉子さんは素敵」「葉子さんは何も悪くない」「葉子さんが誰かとしゃべりたいな、と思ったときに呼び出してもらえるようなところにいたいんです」と、テルコとはまた少し違った愛のカタチで、葉子の全てを受け止めるような行動を取ってしまいます。

 でも途中で「もう葉子さんには会いません」とテルコに宣言し、連絡を絶つようになります。葉子のことは好きなままだけど、ここにはいられないと去ってしまうのです。

 最後に葉子ではなくて、テルコにその気持ちを吐露し去っていく姿と、同じように去ることができないままのテルコの対比と、物語のラストに訪れるテルコとナカハラくんの結末の分岐が目を引きました。

 男女の違いなんですかね。男性のほうが追いかけられると逃げて行ってしまって、女性は追いかけられると最後には折れてしまうものなんでしょうか。でもそれまで追いかけれれていた葉子が、自分からナカハラ君に対して起こした行動がありました。ここから先はまた別の物語になるけれど、その先の未来が明るいものでありそうな予感を感じさせてくれたのが、とても嬉しかったです。

 テルコは自分の行動や思考がおかしいかもしれないということには、薄々感づいているのかもしれません。過去の自分が折に触れて出てきて、グサリとする言葉をテルコ本人に告げていきます。この人を好きでいてもツライだけ。すみれさんにやきもち焼いても、毒づいても、全部自分に返ってきます。マモちゃんへ愛情をかけてもかけても、その愛情は一遍も返ってこないのです。

 恋も愛も盲目で、正解なんてないでしょう。テルコのように人をまっすぐに好きだと思い、行動できる姿をうらやましく思ったり、やっぱりおかしいと思ったり、もどかしい気持ちに何度もさせられてしまいました。

「すみれさんが好きだからもう会うのはやめよう、別に付き合ってないけど」

 いつかと逆で、風邪を引いたテルコの元に差し入れをもってきたマモちゃんが告げる言葉。
このときすでにテルコの愛は、「付き合う」「付き合わない」程度の関係なんて求めていませんでした。普通の男女ならここで泣いたりなんだりで関係が終わるんでしょう。私にはそのあとに続く言葉なんて、思いつきもしませんでした。

「どうしてだろう、私はまだ田中守になれない」

 そのモノローグと共に映るラストシーン。彼女の愛のカタチを見せつけられます。

 人は変わる。愛も変わる。だけど、テルコのマモちゃんへの愛は、カタチを変えながらも変わりません。恋がなんだ、愛がなんだ。そんな言葉じゃ足りないくらいのマモちゃんへの気持ちを見せつけられました。

 自分の愛とか恋とかの概念に風穴を開けられました。それだけ圧倒されたのです。忘れたいような、忘れたくないようなあの気持ちと、いつかどこかでまた出会うかもしれません。

 劇場から出て、kindleで原作を購入しました。読んで補完ができたシーンや、違いに驚いたところが多々あったりし、さらにこの作品が好きになりました。折に触れて映像でも文字でも見返すんだろうな。そんな気持ちになる映画でした。

 ぜひ、公開中に劇場に足を運び、この愛のカタチを目にしてください。
(文=華山みお)

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