トップ > その他 > 映画 > 記事詳細  >  > 3ページ目

インタビュー&ルポルタージュ

元AKB48グループメンバー・北原里英インタビュー 「わたしの演技で観客を裏切らなきゃいけない」 女子の闇深き呪い『映画 としまえん』

2019.05.09

第二章 ルポルタージュ/矢面に立つ女優・北原里英

 今回のインタビューが行われたのは、肌寒さが残りつつも満開の桜が咲き誇る4月2日の午後だった。東映本社の試写室で行われた『映画 としまえん』のマスコミ試写に参加した後、東映東京撮影所にて主演女優のインタビューが実現した。

 時を同じくして、時代劇研究家として知られる春日太一の著作『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(文芸春秋)を日々、愛読していた。

 映画プロデューサー・岡田茂の型破りな奮闘が散りばめられ、片岡千恵蔵、市川右太衛門、中村錦之助、高倉健、菅原文太へと続く東映スター映画の系譜も丹念に紐解かれていく。さらには俊藤浩滋、深作欣二、中島貞夫を筆頭とする東映実録路線の関係者による門外不出の制作秘話もふんだんに盛り込まれ、感嘆する労作であった。多分な影響から、中島貞夫監督20年ぶりの新作『多十郎殉愛記』のマスコミ試写を観ようと銀座の東映本社に駆け付けては、東映の気風を肌身で感じようとしていた。

 筆者がインタビュー会場となった東映東京撮影所を初めて訪れたのは、もう25年も前のことだった。東映の大スターとして知られた丹波哲郎が主宰する俳優養成所・丹波道場の門下生だった当時、道場の使いとして撮影所の衣装部を訪れたのだ。

 その際、対応した衣装部のスタッフとのやりとりが中々捗らず、様子を見かねた年配のスタッフから、「あんた、どこの者だ?」と問われたので、「丹波道場の者です」と応じたところ、「丹波先生のところの若い者か?」と笑顔で迎えられて、丹波哲郎が着用したというさまざまな衣装を拝見させてもらった懐かしい場所だった。

 世代は異なるものの、北原里英と筆者は名古屋市近郊の映画館が廃れてしまった街に生まれて多感な季節を過ごした。休日に映画を鑑賞したい欲求に駆られても、背伸びした服装に着替えてローカル線に揺られなければ劇場にたどり着くことさえ叶わなかった。そんな、もどかしい体験を余儀なくされた郊外の少年少女たちにとって、ロードショー館のひしめく名古屋駅周辺はいつしか憧れの聖地へと化していったのだった。

 中学生時代のエピソードを屈託なく話す北原里英の取材記録を確認していると、同時に筆者の遠い記憶も脳裏をかすめていった……。

――― 斬新なカウントダウン形式で話題を呼んだ歌番組『ザ・ベストテン』では、毎週欠かさず曲の順位を表示するランキングボードに目が釘付けになっていた。

 また、日テレ系列で毎週火曜夜に放映された渡哲也主演による伝説の刑事ドラマ『大都会PARTII』~『大都会PARTIII』や、タフな私立探偵に扮した松田優作のアドリブ演技が炸裂する『探偵物語』は、迫力あるオープニングテーマとの相乗効果もあって人知れず熱狂していた。

 あえてタイトルを列記した高視聴率番組に関しては、山田修爾の著作『ザ・ベストテン』(新潮文庫)、山本俊輔 ・ 佐藤洋笑の著作『NTV火曜9時 アクションドラマの世界』(DU BOOKS)にて絶妙な考察がなされている。

 そして、角川映画第二弾として製作され、宣伝期間中に大量のテレビスポットCFが放映された1977年公開の映画『人間の証明』がターニングポイントになり、一気に興味の対象がテレビからスクリーンへと移っていった。

 日本映画界の風雲児・角川春樹の名は地方の中高生にも瞬く間に知れわたり、続く『野性の証明』『蘇える金狼』『戦国自衛隊』などの作品は、名古屋駅前の洋画系ロードショー館に長蛇の列を作ったものだ。

 当時、公共のホールで開催されるコンサートツアーやプロレス巡業の場合、チケットを求めて訪れるのはターミナル駅周辺のプレイガイドだった。店頭で座席表を見定め、席番を伝えてチケットを購入する時代に筆者は育ったが、映画館はどこも自由席だったので大入りともなれば立ち見が出て当たり前の時代であった。それ故に、劇場前に行列をなして早い者勝ちで空席を確保するテクニックは、シネコンの予約発券システムに慣れてしまった世代には想像もつかない行為だろう……。

編集部オススメ記事

注目のインタビュー記事

人気記事ランキング