昭和と平成を駆け抜けた津田広樹の回顧

薔薇族だった時代 ~まさかの大女優登場に伊藤家パニック?~第2回

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 薔薇族編集部にいた時代、任されたカラーグラビアのロケ撮影に力を入れていた。季節先取りの競パン撮影をして、グラビアの文字デザインも手掛けた。

 撮影や取材や編集作業の無い日は、毎日下北沢駅 から徒歩10分の第二書房に通勤していた。まだ開かずの踏切だった80年代の話だ。

 10~18時のオフィスアワーだったが、正午になると伊藤文學氏の奥様が「お昼ご飯食べるわよ~」と声をかけて下さり、ご家族と一緒に大きな円卓で昼食を頂いた。たくさん並べられたおかずに、文學氏の奥様の故郷からの新潟米が美味しすぎて、夕食くらいのボリュームを毎日頂いていた。

 離れにあった文学氏の書斎の隣部屋に書庫と応接室があり、私は書庫に並ぶ大量の書籍の整理をしながら応接室でデスクワー クをする文學氏のお姉様と多くの話しをした。お姉様の息子さんも私と同い年との事で、私を息子の様に感じて下さったのか東京宝塚劇場の観劇にもご一緒した。お姉様が宝塚の客席で「◯様 (男役の演者)素敵!」と一瞬にして乙女になられた時は安らげた 。そしてありがたいことに、文學氏の奥様も私を息子の様に思って下さってると感じた嬉しい出来事があった。

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 18時にお姉様が退社された後に、私は薔薇通信(毎日何百通も届く読者の郵便回送サービス)の宛名書きの残業をしていた。文學氏は「宛名書きは家族以外に頼んだ事はない」と幾度か発言なさっていたので、私は家族扱いされていると嬉しくて励みになった。ある日、回送の量が多く20時過ぎ迄宛名書きをしていたら奥様が来られて、「空腹じゃない? 何か作ってあげようか? お母さん・・・じゃなかった」と間違えてお母さんと口にされた瞬間・・・母を亡くした私は嬉し涙が溢れた。

 祖母に育てられた私は、文學氏のお母様が「 日本のお婆さん第一位」と豪語していた。小柄で何時も優しくて割烹着を着てらして、笑顔の印象だけがあり続ける素敵な女性であった。年末に私が小銭を袋に貯めて「救世軍の社会鍋に」と手渡す時のお優しい 笑顔から、元気を頂いていた。

 文学氏のご長男は当時大学生で京都にいらしたが、ご次男は小学生で春休みや夏休みともなると昼食時に、毎日ルパン三世のビデオに夢中な男子だった。そんなステレオタイプの日本のご家族な伊藤文学邸が、大パニックになった日があった。

 文学氏のアンティ ーク人形コレクションを見に女優の大原麗子さんが、伊藤家に来訪なさると文学氏に電話が入ったのだ。奥様はお茶うけの高級和菓子を買いに走られ、お母様は来客用の食器を用意された。そんな慌ただしい最中、ブルーグレイのメルセデスが静かに到着した。大女優オーラの大原麗子さんが第二書房の白いビルの緑色の外階段から応接間に入られた 。さぁ、お茶と和菓子を出さねばとなったのだが、今度は伊藤家の台所で「 安い楊枝しかない!どうしよう?」と大パニックになった。 その場にいた私は、何故かホッコリした気分だったのを覚えている。
(文=津田広樹)

雲に抱かれて眠りたい

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薔薇族が作り上げたもの

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