元薔薇族・津田広樹のコラム開始!

薔薇族だった時代 ~昭和と平成を駆け抜けた薔薇族の元カメラマン/編集者が新時代を前に回顧する~第1回

薔薇族編集部のあったかつての第二書房社

 80年代初頭、初めて薔薇族編集部に電話をかけた。「はい、はい~」と心地よい口調で電話に出られたのは、伊藤文學氏ご本人。学生時代から読者だった事や芸能事務所を辞めて間もない事、アイドルの撮影をしていた事を話すと文學氏は、「会って話そう」と仰って下さり 翌日の昼過ぎに第二書房に伺った。

 ご自宅の三階建ての白いビルの裏手に平屋の離れがあり、そこが文學氏の書斎だった。文學氏と私は年の差が28才あるが、文學氏のご長男と私が同い年なのもあり、話しが弾んだ。気付くと、下北沢の住宅地は暮れなずんでいた。

「フランス料理は 好きかい?近くに美味しい店があるんだよ」との文學氏のお言葉に甘えて初対面の日からディナーをご馳走になった。小さな店だが、文學氏のお墨付きだけあり絶品のフランス料理だった。オーナーシェフに文學氏が「今度うちでカメラと編集をやってもらう人なんだ」と私を紹介して下さった時の嬉しさを今も忘れていない。文學氏は「このシェフは ホテルオークラにいたんだよ」と仰り、私は「学生時代、私もホテルオークラで婚礼のウェイターしてました」ご縁は不思議だと感じた。

現在もその人気は絶えない極小競パン(※)

 いきなり巻頭カラーグラビアを任された私は、知人の水泳選手に頼み込み 自然体の競泳パンツ姿を撮影した。現在もその人気は絶えないが、80年代は極小競パンは愛でられていた。その競パン姿を私が人選したアイドル的な笑顔の男子で撮影したのだから、薔薇族のその号(掲載号)が早々に完売したのは、言わずもがな。文學氏の裁量で採用された私を良く思っていなかったであろう藤田竜氏から「津田君、次号からカラーグラビア任せるから」と言われてプレッシャーを楽しんでいた若き日の私がそこにいた。

 アイドルのスカウトさながらに原宿や渋谷で終日グラビアモデルを探した。モデルは自分の趣味嗜好ではなく、万人が見てセックスアピールを持ってる人が絶対条件だ。自分の作品撮影にこれは譲れないので、何度か条件の異なるモデルをあてがわれた時はキツかった。男でも女でもセックスアピールの無いモデルは、どうやってもそれなりにしか撮れない。それなりでは無くて、それ以上の最高峰を毎号死守していたから「薔薇族の津田広樹」の人気が持続したと思う。有難い事にファンレターもかなり頂いた。

薔薇族だった時代 ~昭和と平成を駆け抜けた日本初のゲイ雑誌・薔薇族の元カメラマン/編集者が新時代を前に回顧する~第1回の画像2大好評だった「Eighteen」(※)

 渋谷でスカウトした爽やかな大学生に私がイメージしたのは「詰襟」。高校時代に私が使用した詰襟がクリーニングしてクローゼットにあったので、大学生モデルに着せて木漏れ日の公園でレフ板を使い冒頭頁を撮影した。

 モデル気分になってきた大学生を次に室内で短パン姿でマシントレーニングを撮影し、シャワーシーン撮影・・・・・・全裸になるのを恥ずかしがった大学生だが、転んでもただでは起きない私は「じゃあ この下着を着けてベージュだから裸に見えるから」と、当時人気だった薄い生地のビキニブリーフを彼に手渡した。安心してシャワーを浴びる彼のビキニブリーフは案の定、透け感満載になり大成功。伝説のグラビアが完成し「Eighteen」のタイトルを付け私が殴り書きした文字を使用した。アナログな時代の作品だが、いま客観的に見ても完成度が高いと感じる。

 文學氏が運転するワゴン車で、上野~渋谷~新宿と出来立ての薔薇族を一緒に配達した日が昨日の事のようだ。待ちわびる読者さんがいらっしゃるのが明らかに解る書店や、ゲイショップに束ねられた薔薇族を慎重に抱えて納品した至福は良き思い出。
(文=津田広樹)

※画像処理は編集部によるもの

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