【ルポルタージュ】コスプレイヤー……それは、ただの現在に過ぎない自分。『アスペちゃん』そして、オフパコマンガ。赤木クロの目指す世界

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 赤木が生まれ育ったのは、関東地方の大きな街。その人生のはじまりには、最初からマンガやアニメ、ゲームがあった。なにかをきっかけに、オタク文化に接するようになったのではなく、幼い頃から日常の中に溶け込んでいた。

 物心がついた頃の記憶は父親と一緒に『機動戦士ガンダム』のアニメを観ていた時のことだ。父親が楽しそうに観ているアニメを一緒に見るのはいつものこと。本棚にズラリと並んでいるマンガも勧められるまでもなく、一冊一冊読んだ。父親はガンダム、マンガ、プロレスを愛する、当時で言うところのマニアであった。

《面白そうだなって思って、マンガを読み始めた記憶はないですね……周りにいっぱいあったから、読んでみようかなと》

 その頃に読んだ『北斗の拳』や『キン肉マン』は今でも血肉になっている。そして、ゲーム。被写体となる時に着用する衣装には格闘ゲームも多い赤木だが、それにはちゃんとした理由がある。

《父親はゲームも好きだったんですよね。メガドライブでアクションやシューティング。ネオジオでよく格闘ゲームをやっているのを観てました》

 2018年の今、ネオジオは過去に存在したマイナーなゲーム機程度にしか記憶されていない。少なくとも、大多数の人にとっては、そんな認識だろう。でも、コアな人々にとってはそうではない。かつて、ネオジオは本体もソフトも驚くほど高価だったが、ゲームセンターと同等のクオリティが楽しめる家庭用ゲーム機として多くのファンを獲得していた。

 その当時、SNKの販売戦略は凄まじく、スーパーマーケットやビデオレンタル屋、町の駄菓子屋、クリーニング屋の軒先までMVS筐体をリースで置きまくりゲーム小僧たちを量産し魅了した。

 その全盛期である90年代後半。ネオジオをプレイし購入する人々が楽しんでいた大きなジャンルの一つが格闘ゲームだった。『ザ・キング・オブ・ファイターズ』シリーズや『サムライスピリッツ』シリーズなど数多の作品が世を熱狂させていた。熱狂の時代が終わった後も、ファンは飽きることなくネオジオを楽しんでいるといわれる。「父は大阪・江坂にあったネオジオランドにも足を運んだこともあった古強者なんです」と、赤木は尊敬の念をこめて話す。

 母親から教わったのは『美少女戦士セーラームーン』。父親ほどマニアではないという母親が教えてくれたこの作品もまた、幼い心に深く刻まれている。そうした両親のもとで育った赤木は面白いものに出会えば、思ったまま「面白い」といえる正直さ。そして、時には他人とは共感しあえない時もある悲しさを、幼い時から体験していた。

《友達とマンガやアニメの話をしてもレベルが合わない。私だけ『セーラームーン』で、みんな『プリキュア』とか……。それに世代じゃないから玩具も売っていなくて。ただ、すごく悲しかったことは覚えています》

『アスペちゃん』の中で描いている「人と違うな」という感じはずっとあった。

《歩き方が変だとか、言われることが多くて、すごく困りました。周りに合わせて動きを直そうとおもっても直らず幼い頃は落ち込むこともありました》

 どうしてそうなってしまうのか。赤木は自分でもわからなかった。「変だ」ということだけはわかっていた。今にして思えば、母親も自分と同じだった。三者面談の時のこと。教室の前の廊下に並べられた椅子に座り、二人で待っている時、母親はずっと体操をしていた。「お母さん、それなに?」と赤木が聞くと、母親は「なにもしていないよ?」と怪訝な顔で問い返してきた。自分も変だという自覚があった赤木は、それ以上指摘することはなかった。

 赤木は落ち着きのないタイプではなかったので、成績は決して悪くなかった。だから「動きや受け答えが、少しおかしな子ども」とだけ見られていた。それゆえ、余計に自分は人とは違うと感じることも多かった。自分でも「変だ」とは思っていても、変える術もわからなかった。授業中は黙って聞いているふりをしながら絵を描いたり、居眠りしていた。一種の特技なのか、小学生の頃から先生にわからないように聞いているふりをしながら寝るのは、めっぽううまかった。そうして成長する中で「変だ」と指摘されることも、自覚する瞬間もしだいに前向きに考えるようになった。

《なにが変なのと聞いてみると「全部」とかいわれて困ることもありました。でも、成長してからは、多少動きが変でも、それで笑ってくれるならいいかと思って……》

 前向きに考えて、さまざまなことに挑戦した。でも、社会との関係性はうまく折り合いのつくことばかりではなかった。中学生の時である。ふと「アイドルになりたいな」と思った赤木は、オーディションに履歴書を送ったり、近所にあったダンススクールに通うことを思い立った。

 ダンススクールで練習をしていると「うちは、アイドル養成所もやっているので来てみないか」と誘われた。今まで予想もしなかった人生が開けるチャンスだと思った。でも、養成所のスタジオで、ほかのアイドル志望の女の子たちと一緒になった時、それはとても困難な道のりだと気づいた。

 あるレッスンの時、順番にダンスを披露することになった。何人かが踊って、赤木の番がやってきた。音楽が鳴り、赤木が踊り出すと一瞬ざわつく声がして、それから静かになった。自分でも「これは、ロボットダンスだな」と思っていたから、むしろざわつく周囲のことを冷静に見ていた。「これが歌となれば、どうなるのだろう。自分は歌が、すごく下手なのに……」そんなことを考えていたら、歌を披露する時もやってきた。やはり、ざわめきが起こった。

 それでもどういうことか、地元の小さなライブハウスで複数のアイドル志望者と共に出演する機会があった。自分の音痴は自覚していたけれど、それでも挑戦はしてみたかった。前奏が流れ、歌が始まる。マイクに向かって歌い出すと、なにか違和感があった。

 自分のマイクだけ、スイッチが入っていなかったのだ。出演させておきながらの「戦力外通告」。通例なら、落ち込んだり怒ったりするところだが、赤木は別のことを考えていた。

《これならこれで、いいかなと……。自分は歌がうまくないから、歌わなくて許されるのだったらいいかな……》

 でも「アイドルは無理だな」ということは、自分でも実感していた。だから、アイドルの夢からはすっぱりと足を洗った。無理だとわかっていながら、世間に認められたい虚栄心が邪魔して、ずるずると続けてしまうなんてことは、赤木には想像もつかなかった。

《今思うとアスペルガーは運動が苦手なので、ダンスが下手なのも当然だったんですけどね》

『アスペちゃん』を描き始めたことにも通ずる、思い立てばなににも遠慮することなく、すぐに動き出す。それは、赤木が人生で幾度も経験してきたことだった。なにかに挫折しても、家に引き込もってしまうなんてこともない。ただ「次へ次へ」といつも前向きだった。

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