ホラー映画レビュー!

『新感染 ファイナル・エクスプレス』ハートフルボッコだけどハートフルでもある新時代ゾンビの大傑作映画だった

2017.09.11

『新感染 ファイナル・エクスプレス』公式HPより

 2017年7月16日、ゾンビの生みの親であり、ゾンビ映画の巨匠監督であるジョージ・A・ロメロが77歳で亡くなった。ジョージ・A・ロメロ監督が手掛けた1970年代前後から1985年にかけて『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ゾンビ』『死霊のえじき』のゾンビ3部作はあまりにも有名で、全ての作品がリメイクされている。ゾンビがゆっくり動き、人肉を食らうイメージは全て彼が生み出したといっても過言ではない。

 しかし近年のゾンビは、いわゆる“ロメロ型ゾンビ”に敬意を払いつつも、そのスタイルが変わりつつある。2002年公開の『23日後…』くらいから、ノロノロと動きの遅いゾンビが俊敏になり、走るようになった。それに加え、死者が生き返るという設定から、ウィルスに犯された感染者が恐ろしく狂暴化し、それが爆発的に広がる(パンデミック)スタイルが主流となった。この流れは、そもそもゾンビがなぜ死んでいるのに動くのかだとか、科学的考察云々の結果、無理やりながらも説明がつきそうな着地点を探ったからなのかもしれない。

 それゆえ最近の映画は、ゾンビ映画にカテゴライズされはしても、劇中に「ゾンビ」という言葉が出てこないことのほう多い。2000年以降、ヒットしたゾンビ映画のビッグタイトルはほとんどがそうなのではないだろうか。『28週間後…』『REC/レック』『ワールド・ウォーZ』、そして日本の『アイアムアヒーロー』など、それぞれの作品で「ゾンビ」ではない独自の呼び名が用いられている。

 さて、『アイアムアヒーロー』と同じく2016年に韓国初のゾンビ映画として公開され、瞬く間にトップゾンビ映画の仲間入りを果たしたのが『新感染 ファイナル・エクスプレス』だ。この映画も近年のゾンビスタイルに則った、何かしらのウィルスに感染した者が狂暴化するパンデミックホラーに分類できる。

 原題が『Train to Busan』(釜山行き列車)であるのに対し、邦題が『新感染 ファイナル・エクスプレス』。日本の新幹線にかけて『新感染』としたのは、日本人からすればクスッと笑えるし(?)、語呂も語調良い。しかし、このタイトルだけだとホラーにありがちな、安い血のりと内臓をぶちまけるだけの、B級ホラー映画に思えてならない。原題と邦題が全く異なることは映画「あるある」でしかないが、今回の改題については原作レイプに近く、もう少し別のタイトルでも良かったのではないか。

 それほど『新感染 ファイナル・エクスプレス』はホラー映画という枠を超えたすばらしい作品なのだ。

 この映画の特徴は大きく2点。まずはKTXという特急列車の極めて閉鎖空間の中が主な舞台であること。もうひとつは極限状況に置かれた人間模様と家族愛が全面に押し出されていることだ。

 ゾンビ映画というものは、だいたいショッピングモールで籠城するようなシーンが登場する。これは『ゾンビ』から始まったものだが、『アイアムアヒーロー』でも同じような場面がある。そういった意味では、閉鎖空間での舞台は過去の作品にも当たり前のように登場してきた。『REC/レック』に至ってはマンション棟が舞台なので、さらに閉鎖空間だ。

『新感染 ファイナル・エクスプレス』ポスター

 しかし、『新感染 ファイナル・エクスプレス』の舞台は列車である。今回の舞台は、ほぼ横の動きが封じられ、縦にしか動けないような閉鎖空間中の閉鎖空間なのだ。こんな極めて動きが制御された中で、大量のゾンビ(感染者)たちと死闘を繰り広げるのだから、画面の中はジェットコースター以上のスピード感と緊張感であふれかえる。

 鑑賞する前は舞台が狭すぎて、映像がダイナミックにならないのではないか、と危惧したのだが、全くそんな心配は無用だった。狭いからこそゾンビたちが密集した迫力、狭いからこそ発生せざるをえない近接格闘の恐怖、極めて閉鎖空間だからこそ起きる恐怖と隣り合わせという絶望的状況が、これでもかと繰り返されるのだ。

 もちろん狭い空間でのサバイバルというだけなら『新感染 ファイナル・エクスプレス』はここまで名作とはならなかった。名作たらしめたのが、特徴のふたつめとなる家族愛だ。

 いつ誰がどこで襲われて感染者となるのか分からない絶望的状況下で、主人公は父親として娘を守り、ある男は愛する妊婦である妻を守り、ある学生は恋人を守り、ある老姉妹はお互いを思い合う。生存の喜びを分かち合い、逃れられなかった悲劇を共有し合うことで、短い時間ながらも人間の成長が見てとれるのだ。人は絶望に放り込まれても、これだけ誰かを守ろうとすることができるのだという、熱いメッセージのようにも感じられる。

 もちろん示されるのは愛だけではない。愛しか示されないのであれば、それはご都合主義の駄作映画がすることだ。『新感染 ファイナル・エクスプレス』では、人間の極めて醜い面も大きく示される。自分だけが助かればそれでいいという悪役が登場し、「こいつさえいなければ上手く行くのに」「こいつさえいなければ助かったのに」と唇を噛みしめざるを得ない理不尽なシーンが存分に挿入される。

 家族愛と人間の醜さが極めてシリアスに展開されるので、鑑賞中涙をこらえるのはかなり難しいだろう。実際、上映中はすすり泣く声が漏れ聞こえるほどだ。過去のゾンビ映画でこれほど泣いた者がいた作品は、思い浮かばない。

 他にも細かな特徴として、流血が最小限なのでグロさは極めて控え目というものがある。首筋を噛まれて流血くらいは当然あるものの、内臓が飛び出すようなシーンは皆無である。怖いのは平気でもグロはダメ、という方でも十分に耐えられる映像だ。レーティングが厳しくなってきていることもあり、これも近年のゾンビ映画の特徴といえば特徴かもしれない。

 ハートフルな家族愛を絶望下の極限状態で、ゾンビという特殊な素材を用いて大真面目に描いた『新感染 ファイナル・エクスプレス』は、期待を一切裏切らない作品だ。『アイアムアヒーロー』でアジアゾンビ映画の新時代の幕開け、しいては邦画ゾンビの幕開けだと思っていたが、『新感染 ファイナル・エクスプレス』で強烈なカウンターパンチを食らった気持ちである。

 ぜひとも劇場のその目で確かめ、涙を流してもらいたい。
(文=Leoneko)

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