【人物ルポルタージュ】29万票の金利~山田太郎と「表現の自由」の行方

 16年1月に「日本を元気にする会」は「維新の党」と統一会派を結成するも、すぐに解消。もはや、山田の議員生活も僅かで終わりなのだろうか。あるいは、どこかの党から出馬するのだろうか。そんな噂にもならない話ばかりがなされていた。

 そんな最中の2月14日。山田は、秋葉原で開かれた支持者向けの集会の中で「表現自由を守る党」の立ち上げを宣言する。この団体の目的は、自身の支持者を可視化しようとする山田の新たな手段だった。

 それまでも、山田は幾度かの集会を開いていたが、参加者は多くとも100人を超えることはなかったと記憶している。そうした中で立ち上げた、この党はメールを送るだけで登録できるサポーターを募った。

「表現の自由を守る」という趣旨に賛同していれば、いまだ山田が所属していた「日本を元気にする会」の政策に賛同していなくてもよいという、会費無料のバーチャル政治団体ともいうべきものだった。この立ち上げは、ネットでは瞬時に話題になったものの、続々とサポーターが増えるというわけにはいかなかった。

 1カ月あまりを経ても、メールでサポーター登録をしている人は1万5,000人程度であった。単にメールを送るだけでも、である。全国にいるであろうオタクの数に比べれば、あまりに少なかった。

 集会では、集まったオタクからは「参院選で勝てるのか?」という不安に満ちた質問が飛んだ。この頃、山田は参院選に出馬するために様々な手段を模索していた。最良の手段は10人の候補者をかき集めて「日本を元気にする会」から出馬すること。

 代表の松田が、政治への興味を失っている中で、それには現実味はまったくなかった。3月に開催された支持者向けの集会では「どこの政党と組むべきか」を、ストレートに参加者から意見を聞くまでしていた。

 15年の参議院議員資産公開をみると、山田の資産は2,171万円。十分とはいえずとも、選挙活動にかかる費用を自分で賄える程度はある。

 それでも、地盤も支持母体もない、無名の一議員を受け入れる政党は見当たらなかった。4月には著著『表現の自由の守り方』(星海社新書)を上梓していた。Amazonレビューでは、高評価の本になってはいたが、それも選挙にはまったくといってよいほど寄与していなかった。

■2日で辞めた、おおさか維新の会

 ようやく事態が動いたのは、ほぼ候補者が出揃った4月25日のことであった。山田は交渉の末に「おおさか維新の会」に入党し比例区から出馬することになったのである。よもや出馬を断念せざるを得ないかもしれない。そんな観測もあった中で、これは支持者にとっては、待ちに待った吉報だった。

 だが、話はすぐに暗転した。

 4月27日、突然、山田が比例区ではなく埼玉選挙区から出馬することが決まったことが報じられた。参院埼玉選挙区は、すでに定数3人対して自民、民進、公明、共産が名乗りを上げている選挙区。ほかにも新たな候補者の出馬が噂されている激戦区であった。相当に厳しい、勝てる見込みのない選挙戦になるのではないか。その日の夜7時頃、私は、別件の取材を終えて選挙区へ移動した経緯を聞こうと、歩きながら、坂井の携帯に電話した。坂井はすぐに電話に出た。

「いやあ、埼玉じゃあ取材に行くには微妙に遠いね」

 少し間を置いてから、か細い声が坂井が話し始めた。

「あの、今日これからニコ生なんで……」

「ああ、そうですね。まだ外なので見られないのですが」

「番組でいうまで、まだ黙っておいてほしいんですが……」

「はい?」

「……やめたんです」

「え?」

「維新から出るのやめたんです……」

「はあああ?」

 絶妙なタイミングで、東武東上線が轟音を立てながら通り過ぎた。

■呆然のまま終わった、初の「党大会」

 その2日後だった。

 以前から告知されていた「表現の自由を守る党党大会」が「ニコニコ超会議」で賑わう幕張メッセ近くの貸し会議室で催された。

「2020年の東京オリンピックまでは、表現の自由に懸念がある。議員を辞めるわけにはない」

 必ず出馬する意志を示した山田は、30分あまりを費やして、懇切丁寧に、維新からの出馬を取りやめた理由を語った。それは、単純なことであった。自分の主な支持者であるオタクが全国に散らばっているのだから、比例区で出馬したい。それが了承されたから入党したはずが、突如選挙区から出馬するように指示された。だから、取りやめただけだというのである。

 努めて冷静に振る舞ってはいたが、表情にはどこか焦りがあった。そんな気持ちが、因果を繋いだのか。同時に行われるはずであったネット中継は機材トラブルで、半ばを過ぎるまで始めることができなかった。

 山田の声を聞こうと集まっていた支持者は50人ほどいた。その顔は暗くはなかった。それが、どことなく異様な空気を増幅させていた。冷静だったといえば聞こえはよい。でも、支持者たちは冷静なのではなかった。不安で身動きがとれなかったのだ。

 これまで「マンガ・アニメの表現の自由」を守ろうという運動に姿を見せる有象無象のオタクと同じ。すなわち、自分たちの趣味嗜好を守ってくれる政治家に希望は託すけれども、個々が主体となって運動することは躊躇する。だから誰も「馬鹿野郎」とも「どうするんだ」ともいうことができず。

 ただ、呆然として凍り付いているしかなかったのである。そして、これからの予定についても、触れることすらできないまま「党大会」は、ぼんやりと終わった。閉会した途端に、参加者たちが、言葉を発することもなく、そそくさと会場を後にしていく姿だけが印象に残った。

 目論見が外れた株主のように、声を荒げて文句もいわず、いまだほかに頼る術のない以上、山田に手厚い視線を注ぐしかない。そんなオタクたちの姿を生で、そしてネットのリサーチで見て、山田は決意を固めたのだろう。もう、後にはひけない。どうにかして出馬しなくては、と。

■明日がわからない人生が当たり前

 ゴールデンウィークが明けて5月13日に、参議院議員会館の山田の事務所を訪問した。不安げな雰囲気のあった「党大会」の時とは打って変わって、山田は泰然自若としていた。

「もう、出馬しても目はないんじゃないですか」

「そんなことはありません。2010年に出馬した時も、この時期にはまだ出馬表明すらしていなかったんですから。出馬するための秘策はちゃんと準備していますよ」

「お金は大丈夫なのですか?」

「会社を経営していたときの蓄えはあります。何より、前回の選挙でみんなの党から出馬したときも費用はすべて自費で賄わなくちゃならなかったのですから。供託金や事務所費用などで2,000万円ほど使いました。今回も、同じくらいだと思っています」

 お金の話になると、山田は自信ありげな雰囲気を醸し出した。きっと、どこかの政党の名簿に加えてもらうことで話は決まりつつあるのだろうと思った。

「で、どこから出馬するんですか?」

「5月末までには、みなさんにお知らせすることができると思いますよ」

 自信はたっぷり。でも、当選する保証などどこにもない。この時期から出馬表明をして当選する目があるとしたら、大きな政党に加わり、比例代表の名簿上位に名前を入れてもらうことくらい。とても、そんなことが可能とは思えなかった。だから、山田の姿は空元気なのではないかとも疑った。そこで、こんな質問をぶつけてみた。

「なかなか不安定な状況が続いていますけど、家族はどう思っています?」

「経営者だったときには、明日どうしようかということもありました。今日の生活が明日も同じではないのが当たり前の人生でしたから、まったく気にされてませんよ」

 山田は少し苦笑していた。そこには、蓄えを削って博打を打つ。鉄火場のような刺激に身を震わしている感覚があった。

■こんな政党、まだあったんだ……

 6月7日になって、坂井からいよいよ出馬の発表をすると連絡が来た。

「で、どこから出馬するんです?」

「それは、当日まで内緒ということで」

 8日の朝、山田の事務所を訪ねた。通行証をもらい、地下通路を通って国会の中へ。赤い絨毯が敷かれた薄暗い国会の廊下。連なる扉のひとつに案内された。記者会見のためにセットされた部屋。その壁には政党名が書かれていた。

 新党改革。

「あれ、こんな政党まだあったんだっけ……」

 なんともいえぬ気持ちで、愛想笑いをするしかなくなってしまった。

 負け戦は覚悟の上。運よく勝ちを拾うことができれば御の字。山田は、本当に博打をいっているのだと思った。自民党や民主党を離脱した議員の寄り合い所帯として誕生した少数政党。紆余曲折を経て代表となった荒井広幸は、安倍晋三の応援団を自他共に認める人物。

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