【人物ルポルタージュ】29万票の金利~山田太郎と「表現の自由」の行方

■参院選でオタクは怒っていたのか?

 午前5時25分になると、ついに山田の個人得票は23万8,000票になっていた。その数字を見て、山田は自分を抑えきれなくなった。

「23万票って、確かにスゴイよね。コミケの会場近くで演説している時、帰り道を駅へとヴァーッと流れている人たちが、みんな投票してくれたんだ……正直10万ちょっとだと思っていたんだよねえ」

 身体を揺らして、どうだとばかりに口を開いてしまった自分に気がついて、山田は姿勢を正して、言葉を続けた。

「票の力を政治の力に繋げられなかったのは、責任を感じます」

 既に、事務所の磨りガラスの扉の向こうは、白くなっていた。山田の着ているシャツも、すっかりとくたびれていた。ウトウトとしている姿も混じる支持者たちは、この山田の言葉をどのように受け止めているのだろうかと思った。

 これまで、オタク向けの政策をアピールして当選することができた候補者というものは、一人としていなかった。山田もまた、その一人となった。それでも、この驚異的な得票数は、今までの予め決まった敗北とは違うのではないか。それでも、ここまでやっても勝つことができない現実に絶望をしているのか……。

 ふと、荻野が後ろから話しかけてきた。

「オタクの人は怒っているんだよ」

「怒っている?」

「理不尽に扱われているという怒りだよ」

「理不尽に?」

「そう、理不尽に扱われている怒り……」

 磨りガラスを通して感じる朝の光に、痛いほど刺激されて、頭がうまく回らなかった。

 山田の得票の根源にあるのは、オタクたちの怒りなのだろうか。それは違うのではないか。本当にオタクは怒りを抱えているのか。

 長らく「マンガ・アニメの表現の自由」を取材した結果、それには疑問を持っている。マンガやアニメは、これまで幾度も低俗な文化だとか、犯罪の原因となる有害なものだとして批判をされてきた。そうした発言や報道が出てくるたびに、確かにオタクは怒っているように見える。けれども、いまだかって本当に怒ったオタクが、なんらかの方法で決起したような話は聞かない。

 山田のほうを見ると、また山田は陽気に話していた。

「表現規制反対クン……として、ここまで名前が集まるなんて、正直に驚いてるよ」

 山田は、怒りの感情を巧みに利用したのではないと思った。現状の、マンガやアニメに人生の希望を見いだしている人たちの、もっと素朴で当たり前の願望を見いだし、そこに訴えかけたのだ。ふと、ずっと前に取材で旅をしている時に遭遇した出来事が頭に浮かんだ。

 それは、長野県の鹿教湯温泉へと向かう道中。私は、上田駅近くにある食堂・中村屋で、名物の馬肉うどんを啜っている時のことだった。

 隣の席で、傍目から長い付き合いだとわかる2人の老人が。世間話をしていた。話題が、最近の政治になった時に片方の老人が、こんなことをいった。

「この美味しい中村屋の馬肉うどんが、ずっと美味しく食べられるような世の中じゃないといけないんだよ」

「ああ、そうだよな。本当にそうだよ」

 どんな人生を送ってきたのだろう。互いに気心が知れた中に見える2人の老人は、なぜか感慨深げに、何度もうなずき続けていた。

 多くのオタクが山田に票を投じた理由。それは、山田がオタクに取っての馬肉うどんが、美味しく食べられる今の世の中を、ずっと続けようと呼びかけていたからにほかならない。それも、自身もその美味しさを十分に知った上で。山田は、その一点でオタクたちの心を掴むことに賭けて、成功していたのだ。

■次の一手に期待も見えた敗北宣言

 午前6時。すっかり夜は明けていた。

 山田は居住まいを正して、ついに敗北宣言を決意した。少し伏し目がちになり、山田は淡々と話した。選挙対策が遅れたことの反省。20万を超える得票を得ても勝てなかったことの悔しさ。敗北宣言という外題に合わせて、山田は残念な気持ちを滲ませていた。けれども、その腹の内では、既に次にやることを考えているように見えた。

 ……民間に戻ることもやめて、政治家を引退することもやめて、まだまだ、この分野にコミットメントしていこう。まずは、片付けや引越を終わらせてから、すぐに動きだそう。そう思うと、どんどんとアイデアが湧いてくるじゃないか。

 次に向かっていくべき目標が、漠然と見えていた。だからこそ、今は、敗北を認めてお礼をいうのが、当たり前のことである。

「どんなに数字を稼いでも……しかし、みなさんの表現の自由を守るという声は伝えていかなくてはならない」

 そう。だったら、この熱が冷めないうちに動き出さなくては。貯金まではたいて、残念がっている時間なんてないのだ。

「一両日中に、どうやって続けるか冷静に考えていきたい」

 身体の内部からにじみ出る、新たなステージへと早く歩みを進めたいという思いが、身体に情熱を持たせていた。だから、立つ鳥跡を濁さず。この場をきちんと閉めよう。色んな思いの交錯する言葉を連ねた最後を、山田はこう締めくくった。

「政治家ぶってやるんじゃなくて、楽しくやりたかったな……」

 北海道から沖縄まで、全国合わせて29万1,188票。それが、山田に託されたすべてであった。

■泡沫候補から健闘した無名候補へ

 約29万票を得ての落選。

 これは、今までにあり得ない出来事であった。山田の得票数は、比例区で当選した民進党の小林正夫の約27万票、社民党の福島瑞穂の約25万票よりも多い。比例区では13番目の個人得票数であった。けれども、比例代表制のルールでは、所属した政党名と候補者名の総得票数で議席の数が決まる。確かに山田の得票数は多かったけれども、新党改革全体の得票数は約58万票。かろうじて青木愛の一人だけを当選させることができた「生活の党と山本太郎となかまたち」で、得票数は約106万票。その半分にも満たなかったのである。

 落選はしたものの山田は突如注目される存在となった。消滅が確実だった泡沫政党の泡沫候補が、個人で29万票を獲得した。それもネットを駆使して支持を集めたという目新しさが評判になったのだ。ここにきて、山田を見る目は無名の泡沫候補から、健闘した無名の候補へと変わった。無名の人物が、目新しいことをやり遂げた時に、叩かれることはない。与えられるのは、賞讃だけである。

 参院選前、山田の知名度は極めて低かった。一般メディアにその名前が報じられたのは、維新に入党し、わずか2日で離党した椿事が記事になった時くらいである。そんな山田に対する世間の扱いは、文字通り手のひらを返したかのようなものだった。

 ネットを駆使したドブ板選挙で「ネットの人々は票にならない」というジンクスを覆した男。そのノウハウを知ろうと、与野党はもちろん有象無象の山田詣が始まった。参院選直後の7月31日に投開票が行われた都知事選でも山田にネット戦略の教えを請いに来た陣営もあったという。11月には自分の選挙戦略をまとめた『ネットには神様がいる』(日経BP社)も出版した。

 そうした揉み手でやってくる人々を、山田は上手に転がしていた。

 それよりも、29万票という具体的な数字が、まだ熱を持っているうちに足場を固めようと急いだのだ。選挙が終わって、ひと月も経たない8月には目黒駅近くに事務所を借りて「株式会社ニューカルチャーラボ」を設立した。この会社を使って「若者の消費動向や行動様式について、分析し、その結果に基づいて、政府や企業などに働きかけるビジネスを行うつもり」だと、山田は説明した。

 それと同時に表現の自由を守る党を表現の自由を守る会として存続させつつ、その有料版ともいえるオンラインサロン「山田太郎の僕たちのニューカルチャー」を開設した。月額1,000円以上でメルマガの購読やオフ会などを実施する、いわば山田の後援会的である。月額の会員料金は1,000~1万円まで。この原稿を書いている時点で、会員数は382人。

 全員が月額1,000円を支払っているとして、月の収入は38万2,000円。何割かは管理会社の収入になるだろうから、政治活動の財源とするには、心許ない。いったいこれで活動を継続していくことができるのか。

 そう思っていたら、年が明けた2月には、新たに設立された「日本唯一のロボット開発設計会社」をうたう「ロボコム株式会社」の取締役に就任した。自分の名前がもっとも説得力を持つ分野で、資金面での足場を固めつつ「マンガ・アニメの表現の自由」を守る活動を継続していく山田の構想は、参院選から一年を経てほぼ固まったのだろう。

 こうした山田の、ともすれば抜け目がないともいえる姿を見て、彼の本質は実業家なのだと思った。実業家にとって、まず大事なのは商品やサービスを買ってくれる顧客である。自分の取り扱う商品やサービスを使ってくれるのであれば、その人物がどんな政治信条や宗教を信仰しているかなどは関係がない。

 まずは、自分が勧めるものを扱ってくれるかどうかが問題なのだ。だから、山田はいかに自分とは考えが異なる政党や政治家であっても、平気で繋がりを持つ。そこで、自分の政策を取り入れてくれるかどうかが、重要なのだ。通例、政治の世界に足を踏み入れるものは、明確なあるべき未来を考え、一旦旗を立てたら動かないことが理想とされている。

 でも、山田は参議院議員のバッヂをつけていた時から、常に政治家ではなく山田太郎なのだった。実業家である山田には、理念はあるけれども理想はない。では、山田の理念はなんなのだろう。それは、青年期に思い描いた「世の中を自分の思うように変えたい」という意志を実現することなのだと思う。だから、様々な問題に直面するために、自分の考える最適な解決策を提示し、それを実現するために動く。傍から見れば、各陣営の旗色を伺って右往左往する蝙蝠のようだと唾棄されるかもしれない。けれども、実業家がたまたま政治の世界に足を踏み入れたのだと考えれば、なんら間違っていることはしていない。

 その山田にとって、支持者、中でも大半を占めるであろうオタクもまた、一般的な政治家が考える支持者とは別のものに見えているのだと思う。山田にとって支持者とは、自分が政治という「事業」を行うにあたって募った社員のようなものである。これまで、多くの会社経営者にも取材をしてきたが、会社を立ち上げて成功するにあたって、もっとも欠かせないのは社員を動かす能力である。頭脳は明晰、アイデアも人脈もある。そして、カリスマ性もある。そんな人物が社長の企業でも、決してうまくいくとは限らない。なぜなら、1日の時間は人類に等しく24時間だけ。その中で、一人ができることは限られている。

 だから、社員を雇い仕事を上手く分担して、初めて会社は回る。いくら、社長が優秀な人物でも常にオフィスが殺伐としていたり、商売が上手く回っているとは思えない会社も、いくつも見た。そうした会社の社長の共通項はひとつ。社長が優秀な自分と同じようにできない社員を見下して「なんで、俺ができるのに、お前はできないんだ」と、始終怒っている。できないなら、できないなりに、上手くおだてて、こなせる仕事を与えて、やっと会社は回り出す。

 そこまでして、毎月の給料を支払っても、なお社員が社長を尊敬したりはしない。同僚だけになれば、自然と上の立場の者への批判や愚痴は出るものである。そんなのが当たり前の世間に生きていたからこそ、山田は、移ろいやすい支持者たちにも腹を立てない。不安になりそうな支持者の顔ぶれをみても、Twitterでの拡散など、できないなりに仕事を与え、最終的に自身の利益へと結びつけているのだ。耐えず続く、自分の選択が本当に上手くいくかどうかの不安も、自分の理念への自信と同道する実業家の宿命なのだ。

【人物ルポルタージュ】29万票の金利~山田太郎と「表現の自由」の行方のページです。おたぽるは、マンガ&ラノベ出版業界事情の最新ニュースをファンにいち早くお届けします。オタクに“なるほど”面白いおたぽる!

- -

人気記事ランキング

XLサイズ……
XLサイズって想像できないだけど!!