『正解するカド』10話、宇宙誕生からイヤボーンの法則まで大展開、この大風呂敷どう畳むのか

■大風呂敷とイヤボーンの法則

 大風呂敷を拡げた物語の閉じ方はいくつかある。
 読者が想像もしない勢いでもっと風呂敷を拡げまくって壮大さと荘厳さのまま終わるってのは、ひとつの手だ。
 これは、そのビジョンが想像力を拡張する目眩するようなシーンになると、興奮できるエンディングに突入する。
『地球幼年期の終わり』もこのパターンの終わり方だ。
『正解するカド』も、その手できたかッ。
 と、興奮したが、あああー、残念。
 沙羅花の日常シーンに時間を戻してしまった。
 そして、ここから、また昭和のアニメかッてツッコミたくなるお約束パターンで展開してしまう。
『正解するカド』は、かましかたが凄いのに、それを受けた展開が古めかしいのが残念すぎる。

 前回のラスト、「イヤボーンの法則」をストレートにやってしまった。
「イヤボーンの法則」とは、『サルでも描けるまんが教室』(1990年)で指摘された漫画でよくある展開だ。

 見かけは普通だった美少女が、絶体絶命の危機で「イヤアアア!」と叫び、眠っていた能力が覚醒、敵がボーンと炸裂して危機的状況から逃れる。
 もう1990年には「あるある」として認知されていたパターンをほぼそのまんまやってしまった。

『正解するカド』10話、宇宙誕生からイヤボーンの法則まで大展開、この大風呂敷どう畳むのかの画像2名著です。小学館

■私はこの宇宙の一番のファンだから!

 今回も、なつかしアニメパターンが炸裂する。

 沙羅花が「私はこの宇宙の一番のファンだから!」と自分の行動原理を叫ぶ。
 白黒テレビの時代からのお約束パターンだ。
 悪党は、地球侵略の理由を述べて「なぜ、こんな世界を救うのだ、おまえは?」と問いかける。
 正義は、「それでも、わたしは人間が好きなんです」みたいなことを言って、まったく理由を説明しない。
「好きなもんは好き」で押し切っちゃう。
 これをやられると、対話が成立しない。理論的な交渉もなにもありゃしない。
 正義側が、理性的な対話を放棄してしまう。

「私はこの宇宙の一番のファンだから!」も、その前の沙羅花の日常シーンに説得力があれば、お決まりの展開だとしも気にならなかったかもしれない。
だが、
 沙羅花の日常シーンは、
・誕生の日。
・ひとりで出歩いちゃダメって叱られる。
・アメリカに旅立つ娘。お父さん怒ってるけど小声で「行ってこい」。
 と、昭和のベタベタなドラマ的なクリシェを使ってしまった。
 平凡な生活を描くのに、陳腐である必要はない。
 平凡な生活を描くときこそ、細やかな発見や多様さをすくい上げて、感情移入させてほしかった。

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