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【劇場アニメレビュー】“アーティスト”湯浅政明監督がやりたい放題!?『夜明け告げるルーのうた』

2017.05.19

 後半、ルーをめぐる町の大人たちのやりとりは、やがて異形のもの(ルーのパパがスーツを着たサメみたいな造形なのもいかしている)を排除しようとする人間の悪しき業とでもいった、これまたファンタジー映画にありがちな設定へ突入していくが、語り口の巧さやクライマックスのスペクタクル描出のカタルシス、さらには人魚を憎悪してやまない老婆のキャラクターが悪役と呼ぶにはあまりにも痛快で、とどのつまりこの映画、おそらくは監督が嫌うキャラクターが一人もいないのであろうとでもいった心地よさに最終的には支配されていく。

 主人公の少年とルーとの交流も実に繊細な配慮がなされており、そこに彼のことが気になって仕方ないバンドの仲間たちとの何気ないやりとりなど、少年少女特有のジュヴナイルな感情が映え渡っており、青春映画としても秀逸な仕上がりになっている。

 おそらく映画通やアニメ通の多くは、本作を見ながら宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』を思い出す向きがあるのではないかと思う(実は私がそうだったのだが)。しかし、画を動かすことこそを第一に精魂込める宮崎監督の創作姿勢は、あの作品に関してはいささかノーテンキ過ぎるものを感じ、現に東日本大震災以降はテレビ放送が困難な作品となってしまっている。

 それに対して本作は画のダイナミズムとスペクタクル感覚を大事にした上で、震災後の観客に対する心の配慮みたいなものもきちんとなされており、作家的アーティステイックな意欲とファミリー層に素直に受け入れられる簡明な心地よさを両立させ得た快作となっている。

 こういう作品こそを、本当は“大人の映画”と呼ぶべきなのかもしれない。アーティストとしてやりたい放題のことをやり、それでいて万民に受け入れられる真のエンタテインメント映画。いつのまにか湯浅監督はその域に達していたのかと感嘆せざるを得ない。

 こうなると快作『夜は短し歩けよ乙女』も、本作を通過した上での心のゆとりとさらなる挑戦として発表されたものであることが容易に理解できてくる。これで次なる新作が、あの『DEVILMAN crybaby』となると一体どういうことになるのかまったく見当がつかない。

“安定”なる言葉を知らぬかのように、湯浅監督は終始突っ走り続けている。その疾走に付き合う快感を、こちらもいつまでも持ち合わせていきたいものである。
(文・増當竜也)

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