東のオタク街と言ったら、東京の「秋葉原」。一方、西のオタク街と言えば、大阪の「日本橋」だ。
秋葉原と同じく、電気街からオタクの街へと変化していった日本橋。街にはオタク専門店が並ぶ「オタロード」が伸びていたり、また『涼宮ハルヒ』シリーズで知られるイラストレーター・いとうのいぢが手がけた応援キャラクター「音々(ねおん)ちゃん」がいたり……。中でも、2005年から開催されている「日本橋ストリートフェスタ」は年々来場者数を伸ばし、多数のコスプレイヤーが集結。その盛り上がりは、東にも届いている。
しかし、東京に住んでいると、あまり日本橋の歴史や文化について耳にすることはかなり少ない。もしかすると、秋葉原にはない独自のオタ文化があったりするのでは?
今回は、そんなことを考えた東京在住のオタクが、「日本橋ストリートフェスタ」運営委員会・副委員長を務めた、有限会社ジャングルの中田孝太郎さんに、西のオタク街・日本橋について、歴史や現状についていろいろ話をうかがってみた。
■オタク文化は05年ごろから
―― 日本橋も秋葉原と同じく、電気街からオタクの街へと変化していった街ですが、いつごろからオタクの街と言われ始めるようになったのでしょうか?
中田孝太郎さん(以下、中田さん)僕が感じている限りでは、03年から05年ごろですね。明確にオタク・サブカルチャーの街と言われるようになったのは、05年からだと思います。
―― 05年に決定的なことがあったのでしょうか?
中田さん やっぱりメイドカフェブームですね。秋葉原は02~03年ごろからだと思うんですが、日本橋は05年くらいから流行り始めました。もともと日本橋には、アニメショップなどはあったんですけど、それまでは点在していたんですよね。それが集中し始めたのも05年くらいから。今で言う「オタロード」がそう呼ばれるようになったのも、そのころからでした。
―― 秋葉原と日本橋の違いはどんなところだと感じますか?
中田さん 秋葉原は基本的に観光客が多いなと思いますね。地域住民性ってのが、あんまりいないじゃないですか。日本橋は地域性が濃く残っているので。
―― 日本橋にも海外のオタクの方はいらっしゃるのでしょうか?
中田さん 増えてはいます。弊社はおもちゃ屋なんですけど、年々海外の方の売上が伸びている状況です。お客様は台湾・韓国・中国の方が多いですね。人気なのは『ONE PIECE』。あと韓国の方はガンプラを好まれる方が多い印象です。
オタク文化があるから生き残っている街だった!? “東京オタク”が西のオタク街「日本橋」を調査してみたら……のページです。おたぽるは、アニメ、話題・騒動、秋葉原、日本橋、オタロードの最新ニュースをファンにいち早くお届けします。オタクに“なるほど”面白いおたぽる!
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