「パックマンの父」よ、永遠なれ──『ゲームセンターあらし』が描いた『パックマン』の伝説と衝撃

『パックマン』などでお馴染み、ナムコ(現バンダイナムコエンターテイメント)の創業者、中村雅哉氏が22日に亡くなった。

「最も成功した業務用ゲーム機」としてギネス認定もされている名作ゲーム『パックマン』。開発者は岩谷徹氏であるが、外国では創業者の中村氏が「パックマンの父」と呼ばれているため、少々紛らわしい。ある意味どちらも正しいのだ。

 ボタンなし、シューティングなし。レバー1本のみで操作するというシンプルながら奥深い操作法や、今までにないユーモラスなキャラクターが受け、インベーダーブームの少し後、大ヒットした。

 というわけで唐突だが、今回は漫画『ゲームセンターあらし』(すがやみつる著)に『パックマン』が登場した印象的な回を紹介したい。

『ゲームセンターあらし』は、少年誌「コロコロコミック」(小学館)で1980年前後に連載され、当時小学生を中心に爆発的ブームになったテレビゲーム漫画。いわゆるホビー系漫画の元祖で、これがなければ『プラモ狂四郎』も『ダッシュ!四駆郎』も『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』も、下手したら『遊戯王』だって『ポケットモンスター』だってなかったかもしれない。野球やボクシングではなく、テレビゲームというかつてない題材に命をかける主人公・石野あらしの登場は衝撃的だった。もちろん『ゲームセンターCX』のネーミングはここからだ。

 ここでいう「テレビゲーム」とは、ほぼアーケードゲームのこと。ファミコンどころかゲーム&ウオッチも普及する以前、まだ、「家でテレビゲームができる」なんてことが夢だった時代に『あらし』は始まったのだ。

『スペースインベーダー』アーケード版発売/1978年6月
『あらし』読み切り「コロコロ」9号に掲載/1978年11月
『あらし』「コロコロ」連載開始/1979年8月

任天堂「ゲーム&ウオッチ」発売/1980年4月
アーケード版『パックマン』発売/1980年5月
任天堂「ファミリーコンピュータ」発売/1983年7月
『あらし』「コロコロ」連載終了/1983年10月

■パックマン初登場。第4巻「テレビゲームスパイ大作戦」

 この『ゲームセンターあらし』という漫画、小学生の主人公がテレビゲームで敵を倒していくストーリーが受けて人気が出たのだが、そもそも「ゲームセンター」が不良のたまり場と認識されていた時代に、児童がそこに遊びに訪れることが問題となってしまう。そのため連載の早いうちから、「縁日でのゲーム屋台」や、「大会場でのゲーム大会」など、「ゲームセンター」ではない「合法的に」小学生のあらしでも訪れ、ゲームができる場所での対決にシフトしていった。

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