「ドアをノックするのは誰だ?」日本中を巻き込んだ『逃げ恥』旋風を考える

 よく考えてみれば、二人が思い悩むことは、本当はどうでもいいことなのだ。「手をつないだら相手はどう思うだろう」「キスをしてしまったら二人の関係はどうなるだろう」普通の人なら自然に、おそらくは感情のおもむくままにできること。でもそれができない。どうしよう……逃げてしまおうか。多分それがタイトルが持つ言葉の意味だ。

 あるいはそれを「潔くない」と言う人もいるかもしれない。でも、考えてみてほしい。“逃げる”とはどういうことなのか。

 平匡やみくりは、困難にぶつかったとき、正面からは立ち向かわず、まずそれを分析し、最適な解を導こうとする。「うだうだ考えず正面からドーンとぶつかっていけ!」というタイプの人からすれば、逃げているように見えるかもしれない。でも、もしかしたら、“立ち向かう”と“逃げる”の違いなんて相対的なものなのではないだろうか。

 確かに二人は逃げていたのかもしれない。でもその結果、恋や、愛を知らなかった二人が、恋に落ちることができたのだ。「大好き」と言える相手に出会えたのだ。

 それは、何度でも諦めずにドアを叩き続けた結果かもしれないし、逃げることを恐れず、恥ずかしい道を選んだ結果かもしれない。

 当然ドラマの中での話だし、ファンタジーだということもわかっている。それでもなお「もしかしたらこんな世界があるかもしれない」なんて考えるだけで、心が暖かくなることもまた、真実であるのだ。

 結局このドラマは、ファンタジーであり、寓話でもあったと思う。教訓は……それぞれが感じればいいと思うけど、ひとつ挙げるとすれば「多様性の許容」だ。何ごとも理屈で考える「こざかしい」女も、「プロの独身」と強がる男も、毅然として男社会で働くキャリアウーマンも、ゲイの男性も、みんなみんな許容されることで、幸せを感じることができる。

 これは希望的観測でしかないけど、もし自分のことを許容してくれる誰かがいて、心のドアをノックしてくれることがあったら、それに気付けるぐらいの優しさと敏感さを持っていたい。そんなことを思った。

 物語のラスト。

「こうしてみんなは、幸せにくらしましたとさ」

 そんな言葉で締めてもいいくらいのハッピーエンドで、実に気持ちがよかった。

 ドラマの醍醐味ってこういうところなんだよな。ああ、幸せな3カ月だった。
(文=プレヤード)

恋 (通常盤)

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これを踊る石田さんもかわいかった

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