【劇場アニメレビュー】CGはイマイチながらお話は面白い――がオチがちょっと……!?  『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』第3章レビュー

1612_009.jpg『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』公式サイトより

 本題に入る前に、本音の本音の本音の本音の話を少しだけさせてもらうと……マンガ原作のアニメ化作品でキャラクター・デザインを大幅に変更するのは、もう勘弁してくれ! 

 特に石ノ森章太郎作品キャラのデザインが変更されると、彼の作品のモチーフでもある「改造されて異形の者と化した人々の哀しみ」を映像製作サイド自らが引き起こしているかのようで、あなたたちはブラックゴーストか? ショッカーか? と、感情的に糾弾したい気持ちにもなってしまう。

 そもそも『サイボーグ009』のアニメ化は、最初の劇場版『サイボーグ009』(1966)&『サイボーグ009怪獣戦争』(67)&TVアニメ昭和モノクロ・シリーズ(68)からしてキャラクター・デザインが変更されていた。それが昭和カラー版(79~80)でようやく原作通りになったかと思ったら、その劇場版『サイボーグ009 超銀河伝説』(80)で008=ピュンマのみ唇が薄くなるというマイナーチェンジが図られている。(海外では、黒人キャラの唇が分厚いと人種差別と捉えられる。そう説いたのはジェフ・シーガルという、『スター・ウォーズ』に携わったというフレコミで来日した脚本家で、結局は何の役にも立たず、ギャラだけもらって帰国したと聞く。役に立たないどころか、余計なことを言ってくれたものである)

 平成版『サイボーグ009 THE CYBORG SOLDER』(01~02)では、石ノ森の画により似せたキャラデザインが実践されていたが、やはり008の唇だけは薄いまま、その後の新作でも変わらずである。

 神山健治監督の3D映画『009 RE:CYBORG』(12)では、008のみならず他のキャラクターまで大幅にリアル寄りのデザイン改変がなされ、ここまでくると各作品に応じてのキャラ整形(?)を愉しむしかなさそうなのだが、もう純粋なる石ノ森キャラでの『サイボーグ009』映像化は不可能なのだろうか?(そういえば2015年の『サイボーグ009VSデビルマン』は意外に原作の画に近いキャラ・デザインがなされていたが、あれは続編を作らないのか? 『デビルマン』のクライマックスの地獄にゼロゼロ・ナンバーズがどう関わるか、ぜひ見てみたいものなのだが……)

 さて、本題の『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』3部作では、キャラ全体が今風のイケメン風になり、紅一点の003=フランソワーズ・アルヌールは『RE:CYBORG』ではお姉さん風アダルト・キャラだったのが一転して可愛い萌えキャラと化したのだが、それよりも001=イワン・ウイスキーがこれまでの映像化で最も愛らしいデザインになって、むしろこちらのほうが「萌え!」となっている。

 個人的には002=ジェット・リンクの鼻の低さや004=アルベルト・ハインリヒのハンパな白目が馴染めず、それよりも何よりも人種差別云々を真に気にするのなら、006=張々湖の台詞廻しこそ実はあぶないのではないか? と思ったり。そして毎回痛感するのが、009=島村ジョーだけはいかにデザインが変更されても何の感慨もわかないことで、まあ、これはこれで彼の個性なのかもしれない。

 ……などとキャラ・デザインのことばかり書いていても仕方ない。何を隠そう、今回の『CALL OF JUSTICE』3部作、3DCGセルルックの作画がまるでPS2時代のゲーム映像でも見ているかのように稚拙で(少なくともPS3には思えない)、前回レビューした『RWBY』シリーズのほうがまだマシではないかと思えるほど。もはやキャラ・デザインがどうこうのレベルではないのであった(マジに、この部分に関しては、覚悟してご覧になったほうがよろしいかと思う……)。

 では、今回の3部作はつまらないのかというと……これが意外に面白い! 

 前作『RE:CYBORG』が石ノ森原作の後半部にならうかのような神と人との関係性を問う哲学的内容だったのに対し、今回は新たなる敵=不老不死の超人類として人類の歴史に太古から関与してきた異能者集団“ブレスド”という明確な相手がいて、さらにはもともと小さな国連部隊でもあったゼロゼロ・ナンバーズを皮肉るかのように、今回彼らは罠に落ちて国連からも付け狙われることになる。

 要は今回の3部作、活劇としてのエンタテインメント性が追求されており、あまり哲学モードへ向かわない。そもそも石ノ森原作の初期が少年誌連載のヒーロー活劇(もちろん、それはそれで深みはある)だったことを思うに、今回の方向性はむしろ歓迎すべきで、また3部作を通してゼロゼロ・ナンバー個々の活躍シーンもちゃんと用意されており、特に水の中でないと見せ場のない008は、久々に頑張っている姿を見られたなと思う。顔から刺青がなくなった005=ジェロニモ・ジュニアも、戦闘モードになるとそれが色濃く浮かび上がってくるのはうれしいものがあった。

 後、今回はおめめが可愛くて仕方ない001が大活躍! もう彼を見ているだけで、幸せ気分に浸れるのだ。

 敵ブレスドに関しても、第1章に登場する彼らの驚異的な強さに圧倒されながらのバトル・シーンのテンションに魅入ってしまい、いつのまにか作画やキャラ・デザインがどうこうといった不満が気が付くと払拭されていく。

 また『RWBY』もそうだが、こちらも第2章、第3章と連なるたびに作画が良くなっているような印象を受け(こちらの目も慣れてきた?)、むしろ作品独自の味わいをもたらしてくれている気分になっていく。

 さらに今回は「009と美女」という、映画『怪獣戦争』でも顕著な設定も設けられているが、それによって003がさりげなく嫉妬している図が妙に微笑ましく映えていた。

 そうこう思いながら、今回はとても面白いものを見させていただくとともに、今年大躍進だったアニメ映画のトリを努めるのはこの3部作であったかと喝采するほど……であったのだが、その興奮と歓びは哀しいかな、第3章の後半から徐々に雲行き怪しくなっていく。

 かつてファンから酷評された映画『超銀河伝説』にならう悲愴な展開に今回もなっていくのはまだ挑戦として受け止められるものの、ブレスドの指導者エンペラーが009の風貌にどことなく似ていて、しかも声が昭和カラ―版で009を演じた井上和彦というのも、何やら意味深ではあれ、結局はその設定を活かしきったラストになりえていない。

 というよりも、この終わり方では何も解決しておらず、さらなる続編がなければ見る側は納得できないであろう。しかし、第3章のエンドタイトル後に映る一瞬の画を見て、思わず映画館の椅子からずり落ちそうになった。

「ふざけんな!」

 あまりにもひどいオチである。

 鑑賞後、パンフレットを買って作り手側のコメントを読んでも、全然納得がいかない。

 最近、謎の種だけいっぱい撒いておいて、劇中でそれらを刈り取ることをせず、「謎を知りたければコミカライズやノベライズを読んでね」みたいなアニメ作品が増えてきているように思うが(『RE:CYBORG』もそのケがあった)、今回はそれですまされるものではないだろう。

 何よりもこの映画を見るファンは、各キャラそれぞれの運命こそを見届けたいのだから。

 少なくとも第3章の途中までは、キャラ・デザインや作画云々の議論を越えて、『君の名は。』や『この世界の片隅に』『聲の形』といった2016年の秀作群と同位置に並べたくなるほどの衝動に駆られていたのだが、結果としてはどっちらけに終わってしまい、その日一日何もやる気が起きないほどだった。

 正直、こんな仕打ちを受け続けるようならば、神山『009』はもういいや。

 むしろ『サイボーグ009VSデビルマン』のシリーズ化こそを願うことにしよう(やりそうな気配はなさそうだけど)。
(増當竜也)

「CYBORG009 CALL OF JUSTICE」 THE COMPLETE

「CYBORG009 CALL OF JUSTICE」 THE COMPLETE

今後、何か動きがあるのかな…

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