住みなれた街を出ていったのは、すずだけではない──映画『この世界の片隅に』と“のん”

 思えば、『あまちゃん』の主人公・天野アキもまた、ぼんやりとしていて、どこかあか抜けない女の子だった。オーディションを経て、能年がその役に選ばれたということは、彼女の中にそれに似た雰囲気を感じたからであろう。

 そして、彼女たちに共通するもう一つの側面、それが運命に対峙するときの強さである。

 すずは戦争によって平和な日常を奪われる、天野アキは東日本大震災によって女優としてのチャンスを、そして能年玲奈は事務所との問題で芸能界での居場所を失った。

 しかし、いずれもきちんと運命を受け入れ、自分なりの人生を歩き始める。その強さは、3つの人生に共通するものだ。

 のんの独立騒動は、誰が悪いのか私にはわからない。でも、そんなことはどうでもいい。

 彼女がこうして活動を続けていて、それを私たちが享受できている。それだけがただうれしい。

 世の中にはいろんな問題があって、本当にいろんな問題があって。

 それらの問題を抱えた能年玲奈の魂が、主人公すずの声を通して解放された、そんな風に思った。

 映画の中では、戦争の是非を声高に叫んだりはしない。昭和20年8月6日。これまで目にしたどんなドラマや映画でも、ことさらに特別な日として描かれていた1日。そんな日のことですらも、この映画ではこれまでと地続きの普通の日として描かれる。多くの史実や情報でその悲惨さを知っている私としては、肩透かしをくらったように思えるほど、日常を淡々とつづっているだけ。

 どう考えるかは観る者の判断にゆだねられている。その姿勢がとても正しいものであると感じた。

 もちろん、ゆだねられた私たちは、考えなければいけない。結論が出ないのであれば悩まなければいけない。声高に叫ばれるプロパガンダより、ある意味、私たちの責任は重いのだ。

 例えば、すずは幸せだったのだろうか。その一点においても、答えを見つけるのは難しい。楽しさや快楽の量で人の幸せが決まるわけではないから。

 ただ、この世界の片隅には、たくさんのささやかな幸せがあって、愛おしい現実がある。それだけで十分であるような気がする。

 現代という平和な時代に生まれた私は、世界の片隅の映画館でスクリーンを見つめた。上映が終わり、ぼんやりとした気持ちのまま外に出た。

 雪はやんでいた。
(文=プレヤード)

『この世界の片隅に』
http://konosekai.jp/

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