【実写映画レビュー】シリーズ最高の美しいラストは「正しい政治的選択」の末に――『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』

 満を持して公開された『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』。2001年から通算8本が製作された「ハリー・ポッター」シリーズ5年ぶりの最新作……というより、ハリポタ本編に登場する架空の書物『幻の動物(ファンタスティック・ビースト)とその生息地』の著者を主人公としたスピンオフである。原作者のJ.K.ローリング自身が映画のために脚本を書き起こした、5部作の第一弾だ。

 舞台は第一次世界大戦後、1926年のニューヨーク。世界中を巡って魔法動物を捕獲・記録している魔法動物学者ニュート・スキャマンダーが、トランクから逃げてしまった魔法生物たちを回収する物語だ。彼と行動を共にするのは3人。ニュートとそっくりのトランクを持っていたため騒動に巻き込まれた中年男性・コワルスキー、アメリカ合衆国魔法議会で働く女性魔法使いのティナ、ティナと同じ職場で働くセクシーな妹のクイニー。子供たちの冒険と成長を描いたハリポタ本編とは異なる「大人4人」というわけだ。

 本作は、過去のハリポタシリーズに精通していなくとも、独立作品として十分に楽しめる。CGで描画された愛らしい魔法動物たちは、CGとわかっていてもキュン死するほどキュートだし、ジャズとアールデコと自動車文化に彩られた20年代ニューヨークの街並みは、文豪フィッツジェラルドの世界を忠実に映像化したかのごとく、クールで洒脱。これが英国産のハリポタテイストと奇妙になじむのは、伝統社会から大衆消費社会への過渡期にあったこの時代のアメリカが、伝統的魔法社会と現代人間社会との共存を描いていたハリポタ本編と、似通った空気をまとっているからかもしれない。

「街で大暴れする魔法動物の描写と、その捕獲アクション」は本作の大きな見どころだが、それは物語の縦糸にすぎない。では横糸は何かといえば、異なる種族である「魔法使い」と「人間」との“民族共存”についての、悪役側からの問題提起だ。ハリポタファンなら聞き覚えがあるだろう。これはハリポタ本編のラスボス、ヴォルデモート卿の目的だった「魔法使いの純血種だけによる世界の構築=人間の殲滅」の草稿のようなものだ。

 本作で魔法使いの能力を持つ者は、その能力を人間社会に知られないように生きている。大騒動になるからだ。よって魔法界の法体系においては、人間の前で魔法を使ったらその人間の記憶を消去する魔法「オブリビエイト」を唱えることが義務化されており、怠れば罪に問われる。

 しかしよくよく考えてみれば、これはおかしい。人を傷つけたならまだしも、単に魔法を人間に見せただけで、つまり「本来持っている能力を人前で発揮する」だけで罪になるとはこれいかに。彼らは魔法使いに生まれたというだけで言動が制限される。これはほとんど、肌の色や出身地で居住地や職業が制限される現実の社会そのままだ。被差別というやつである。

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