富野由悠季「1000万は伊達じゃない」「知られてない作品の話が通じないのが嫌」 誕生日なのに“死に支度”の話も

 第10回でアニメーション部門の大賞となったのは、長編の『時をかける少女』(細田守)。富野は当時行われたシンポジウムについて「『時をかける少女』の印象に関して言えば、基本的に悪くなかったですからね。ただ細田監督と樋口(真嗣)監督(審査委員)が一緒くたになってグダグダ言い始めたら、『お前ら考えが足りないぞ!』ということで怒ったかもしれません。辛辣な批判ということに関しては、作品の映像のことしか覚えていないんだけれども、細田監督の仕事のことはアニメを気をつけて見られる方ならご存知の通りで、かなり粗い部分があったりします」と改めて意見した。

tomino3.jpg写真:第9回にアニメーション部門で大賞となった短編の『浮楼』(榊原澄人)

 一方、前年の第9回でアニメーション部門の大賞に選ばれた短編の『浮楼』(榊原澄人)には「一般的に知られるようなかたちで流布されていないので、説明は難しいですが、こういう風に極限状態でしか見られないというのは知られてることにはならないんです。こういうのが一般的に露出してくれるとうれしい」と希望し、「この作品について何が素敵かというと、『ガンダム』がアニメだと思ってるような今時の奴らに、本当はこういう風にできるんだよというのをもっと知ってほしいんだよね。それだけのことなんです。こういう話が通じないのが嫌なんだけど。『ガンダム』だけが好きでアニメやってると思ってほしくない」と、もどかしそうにしていた。

 近年、富野は村上隆から『イデオン』を上映した後でインタビューをしたのは自分だったことを明かされた逸話も披露。その理由が当時貧乏学生で日当がいいアルバイトだったからという逸話を導入に「そこまでは冗談めいた話なんですけども、(彼が)ワールドワイドなネーミングになってしまった時に、つくづく思ったことがあります」と切り出した。

「アートの立ち上げとかは確かに入れ物の容器があった方がいいんだけども、きっかけとして動員されていく人たちがひょっとしたら本物のアーティストになるかもしれない。村上隆が本物のアーティストかどうかは別問題ですよ(笑)。ビジネスとして上手いことやっててスゴいなって思ってるだけですから誤解ないように。だけど半分ぐらいは実力を認めてます。今こういうことが言えるのも、彼がワールドワイドなネーミングを持ってるからです。どういうことかというと、アートというものは東京にいる偉い人たちが立ち上げてくれているんだけれども、そんなもんじゃないんだよねっていうのがあります。毎日毎日、絵を描かなきゃいけない、仕事をしなければいけないという人には生活の糧でしかないし、そういう価値論は一切ないんです」(富野)

 さらに富野は、「我々みたいなアニメの人は後発部隊ですから、本当にアンダーグラウンドな世界の中で、泥水すすりながらやってきた。やってきたんだけども、この10年くらいでコロっと事態が変わった時に、こういうところでアニメ出身者でもお話させてもらってんだというギャップをどう埋めたらいいんだろうと。埋めようがないんですよ」とぼやき、「つまり、60、70歳になって勉強しはじめてアーティストになれると思います? なれるわけないでしょう。この40、50年を取り返すことができないってことを知るのが現実です」と吐露。

富野に訊け!! (アニメージュ文庫)

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もう一本、できれば「ハサウェイ」作って欲しい

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