「ありがとう民主党!(当時)」 里中満智子が“国営マンガ喫茶”“アニメの殿堂”の誤解で疲れ果てた日々を回顧

 さまざまな分野・立場から、多面的な角度での議論が紛糾してきた文化庁メディア芸術祭も20年が経過(準備含む)。10月15日から11月6日まで、アーツ千代田3331にて「文化庁メディア芸術祭20周年展-変える力」が開催された。ここでは11月5日に行われたシンポジウム「『メディア芸術祭』の20年」の一部に触れる。

1611_satonaka1.jpg写真:右から富野由悠季、岩谷徹、里中満智子、建畠晢、佐伯知紀、小林桂子

 文化庁メディア芸術祭が初めて開催されたのは1998年。文部省(現:文部科学省)が46年に開始した芸術祭(現:文化庁芸術祭)を援用するかたちで始まった。今もなお「メディア芸術って何?」と首を傾げる人は少なくないものの、“メディア芸術”なる文言が登場したのは、「メディア芸術祭」開始前年の97年だ。そうした経緯を知れば言葉の定義で必要以上に悩まずにすむ(ちなみに、つい“クールジャパン”としたくなるところでも、経済産業省ではなく文化庁なので、メディア芸術の呼称を心がけたい)。

「マンガなんて社会の中で爪弾きにされて、だけど、だからこそ絶対に素晴らしい表現形式です。他の分野も振り返ってみれば、最初は非常に下品なものとされているとか、そういった歴史がありますよね。マンガも今にありとあらゆるテーマを作者なりの個性で描かれて、マンガだからとかじゃなくて映画と同じように、この人のこの作品だからという見方に変わるんです」(里中満智子・マンガ家)

1611_satonaka2.jpg写真:文化庁メディア芸術祭関係年表(1ページ目)

 アニメーション部門とマンガ部門で審査委員を務めた経験がある里中は、「メディア芸術祭」開催へ向けた96年の「マルチメディア映像・音響懇談会」にも、メンバーとして参加していたという。自らの経験を振り返り、「学校でもマンガ家になりたいというと、先生たちから寄ってたかって『大丈夫か?しっかりしろ!』と言われ、家でも『勘当する!』と言われて辛いものでしたが、若者が自己表現としてドラマをやるとなると、こんなに素晴らしい表現形式はないんですよ」と熱を込めたコメント。

「お上が『マンガ部門に賞金あげたくない』と言ってたってのは、上等じゃないかって思ったんですよ。何もお上に認められたくてやってるわけじゃないと。むしろ虐げられて戦う分野でいいやと。みんなそう思って覚悟して入ってきたと思うんです。ところが振り返ってみると、能でもお茶でも浄瑠璃でも歌舞伎でも、いつのまにか伝統芸能みたいになってしまって、形式に走る部分もありますよね。それでも若い人たちはその中で努力して新しい発想で頑張ってらっしゃる。だからどんな分野でもいずれ、広まって定着すると硬直する時期を迎えないとは限らないんですよ」(里中)

「メディア芸術祭」の賞金額も文化庁芸術祭の額を参考にしていたとのこと。里中は仕方がないと思いつつも、海外からも応募があるだけに、経済的に豊かな国からあげる賞としては賞金が安くて恥ずかしく、期待されたら困ると思ったこともあるとボヤいた。

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明治大とか、私設が頑張っているのも限界があるでしょうし

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