「『シン・ゴジラ』は第1作の精神を踏襲している」宝田明と水野久美が語る“ゴジラ”

2016.09.06

 大ヒットとなっているゴジラシリーズ最新作『シン・ゴジラ』。ゴジラはなぜ人々を魅了する理由とは何なのだろうか。ゴジラ映画を支えてきた俳優・宝田明、そして“特撮ヒロイン”として名高い女優・水野久美に話を聞いた。

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■『シン・ゴジラ』は第1作の精神を踏襲している

宝田明。

――特に第1作の『ゴジラ』と比較して、『シン・ゴジラ』をどう考えていますか?

宝田 第1作のゴジラも、海底で静かに眠っていたところ、洋上の水爆実験で彼自身も被爆するという悲しい運命を背負っているので、日本の国民と同じような立場なわけですよ。それで、第1作では、日本は核全面廃止、原爆実験も止めてほしいと、全世界に発信しました。今度の『シン・ゴジラ』も国連は熱核攻撃によってゴジラを殺してしまえという立場でしたが、それに対して、日本は血液凝固促進剤で凍結させてしまおうという、生物を爆弾で殺してしまう残酷なことはしないという立場なんですよね。それは、第1作と精神は同じだと思います。環境破壊に反対する日本、それから生物の生命を完全に絶つようなことはしないという立場は、精神としては全部踏襲しているのではないかな。東宝が満を持して作ったものとしては、出来は最高に良かったと思います。

――『シン・ゴジラ』で描かれたドラマは、いかがでしたか?

宝田 監督さんの演出によるし、緊迫した状況だから、そういう台詞のしゃべり方をしているのだと思うけど、少し台詞が早過ぎて、よくわからないところがあるんだよね。緩急よろしくやった方がよかったと思います。緊張した感じで、テンポは出たと思うけど、あまりテンポばかりを気にしてもね。緩急があってこそ、速いテンポが活きてくるので。技術的な話では、少しそういう気がしました。

――『シン・ゴジラ』のゴジラは、見た目も尻尾が大きかったり、上陸後何段階も進化したりと今までにないゴジラ像がみられましたが、どう感じましたか?

宝田 真摯にゴジラと向き合い、凝った作りをしていますね。そういう意味では、相当考えていらっしゃるなと思いました。

――ゴジラは、映画ごとにディテールが異なりますが、気に入っているゴジラは何作目ですか?

宝田 自分が出演しているからではないですが、それはやっぱり第1作がベストです。全体を通してみて、第1作が与えたものは大きかったと思います。あの当時は、CGがなかったですからね。それに第1作はモノクロだったんですよ。今はカラーで、時として現実離れしてしまうというのがあると思うのです。モノクロの色調は奥が深く、レンブラントの絵画のようにコントラストがすごくよく描かれていたり、水墨画みたいに真っ白な白もあれば淀んだ白もあるように、白にもいろいろあったりします。だから、やっぱり僕は、苦しみが多かった作品でもあるので、第1作に愛着を感じています。

――当時、怪獣映画は色物でしたからね。

宝田 あの当時は、アメリカで『キングコング』(1933年)があったくらいでした。ただ、やはりゴジラは彼自身も被爆者という立場があるので、ゴジラの鳴き声にも悲しみを感じたんです。今でもそうなんですよ。単なる破壊者としてのゴジラではなく、哀愁を帯びた、私たちも人間が作った核によって被爆した人間だという事実があったからこそ、日本でも第1作は大勢の観客の支持を得たわけなのです。

――話は変わりますが、ゴジラのアニメ映画化も発表されましたね。

宝田 ひとつのキャラクターがアニメになっても、それはそれでいいのではないかな。ただ、第1作にあったような、核に対する人間の悲しみやゴジラ自身が被爆者という立場を間違えないように持っていけば、荒唐無稽な破壊者で終わることはないと思うので、そこはしっかりと守ってほしいです。

――では、最後にうかがいます。ゴジラとは何でしょうか。

宝田 60年前、立場は違っても共に主演を演じたので、僕はゴジラとはクラスメイトだと思っています。今、彼が世界中の大ヒーローとなって君臨しているのは、“極悪非道のゴジラ”ではなく、人間と同じように悲しみを抱いた存在だからです。また、ゴジラを英語で書くと、「GODZILLA」となり、期せずして最初の3文字が、「神(GOD)」という言葉につながります。だから、僕は荒唐無稽な乱暴者のゴジラではなく、神が使わした人間に対する使者、“聖獣”だとしか考えられませんね。

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