【秘録的中編ルポルタージュ】

初単行本『ボコボコりんっ!』女性マンガ家・知るかバカうどんの衝撃と圧倒「私、つきあった男には必ずボコられるんです」

 取材は午後1時30分からだったが、私は、正午にはもう大江戸線牛込神楽坂駅に到着していた。長いトンネルのような通路から階段を昇って地上に出る。近くのコンビニに入ると、取材の前によくそうするようにエナジードリンクを一本と握り飯を一個買う。歩きながら、ガサゴソとレジ袋から取り出した握り飯をほとんど噛まずに流し込む。牛込中央通りに、そんな行儀の悪い姿を晒しているのは、私一人である。

 新潮社の前を通り過ぎ、すぐに早稲田通りにぶつかったところで、どうやって時間を潰すべきかを考えた。道路の対面を見ると、かつてあった町場の書店は、オシャレなブックカフェに生まれ変わっていた。出版社の多い街らしく、校正記号のテキストやブックデザインの本を並べる一方で、マンガやエロ本までを雑多に並べていた書店の面影はどこにもなかった。並べられている本は、美しい装丁。あるいは、社会のなにごとかに関心を持つならば、読んでみなくてはならないと思っている本ばかり。

 だが、わずか1冊も手に取ってみようとは思えなかった。どこで買っても本の内容が変わるわけではない。それでも、ここで、本を買えばつくられた何かの側に回ってしまう。得体の知れないものによって操作された、偽りの高尚さやアカデミックな雰囲気。そんな、とてつもなくパッケージングされた綺麗なものによって、身も心も汚し尽くされてしまうような気がしたのだ。

 決して「あちら側」の住人になってはいけない。《自分も「あちら側」の住人になれるのではないか》《世間から注目を集める批評家や学者の類いと同列の地位に立てるのではないか》──ルポライターとしての自分を見失った末の、無数の苦く恥ずかしい経験は、私にとってのもっとも重要な戒めなのだ。

 もう二度と入ることもないだろうと、かつての居心地のよかった町場の書店の記憶を思い出し、一抹の寂しさを感じながら、足早に外に出た。

 どうしようかと考え、その向かいにある『週刊読書人』の編集部が入っているビルの一階にあるベローチェで時間を潰すことに決めた。ICレコーダーの乾電池を入れ替えたりしていても、落ち着かない。プリントアウトした質問項目を読み直しながら、自分の文章の不味さを反省しているうちに時間が過ぎていく。いったい、どんな人物がやってくるのだろうと様々な想像をめぐらしていた。この質問項目を了承してくれているけれども、きちんと話してくれるだろうか。あるいは「はい」とか「いいえ」とか、短い言葉しか返してこないのではなかろうか。取材におけるテクニカルなことばかりが浮かんできた。まだスタートラインにも立っていないのに、実際に会って話を聞くことができるという時点で、ゴールと誤解していたのかもしれない。いまだに、最初の衝撃とモヤモヤした気持ちに答えはなかったが、何かやり遂げたような気持ちになっていたのである。

 時計の針が午後1時を回ったのをみて、森田に電話をして、オフィスへと向かった。

 エレベーターのドアが開くと、すぐに乱雑に資料が積み重なった机。隅には、茶色い紙に巻かれて紐で結束された新刊雑誌が、視界に入ってきた。開いたままのドアから、一歩中へと足を踏み入れる。

「こんにちは~」

 少し会釈をするかのように頭を垂れ、挨拶をしながら入っていっても、誰一人として見向きもしない。勝手に自分のアポの相手を探してくれという風である。最近は、あまり見かけなくなった出版社本来の泥臭い雰囲気に、何か懐かしさを覚えた。かつては、幾つものこうした雰囲気の出版社を訪れて、ほこり臭い編集部の片隅で打ち合わせをしたものだ。いつしか、そういった機会も少なくなった。どこの出版社も、入口の受付嬢か電話で担当者を呼び出せば、綺麗に掃除された応接セットへと案内される。それどころか、メールやチャットワークなど様々なツールが当たり前になり、頻繁に会って打ち合わせをする必要性というのも随分と減った。だから、こうした昔ながらのスタイルを変えない出版社を訪れるたびに、しばらく離れていた故郷へと戻ってきた感覚を得るのだ。

 積み上がった資料の合間から、森田がひょいと顔を出し、隅の応接スペースへと案内してくれた。机に椅子があるだけの簡素なスペース。

「まだ、いらしていないんだよね」

 そういって、森田は灰皿を置いてタバコを勧めた。いまだ禁煙の風潮に抗う彼らの姿に、安心感を得た。続けざまにタバコを2本。森田も同じく2本。どことなく落ち着かない雰囲気だった。これから始まる取材がどういう方向に向かうことになるのか、まったく予想はできなかったからだ。

「これを見てくれよ」

 森田が『ボコボコりんっ!』の単行本を手にして、その奥付を示した。2016年5月20日第一刷発行の下に2016年6月30日第二刷発行の文字が印刷されていた。わずか1カ月あまりでの増刷。それが、この作品の持つ力を示していた。

「これは、記事の中で大きな要素になるんじゃないか」

 森田の言葉にどう答えてよいかわからなかった。売れている。それは重要な要素ではあるだろうが、最初に私自身が作品から受けた衝撃の前には、それすらも小さなことではないかと思ったのである。そう話をしていると、知るかバカうどんの担当編集者である中沢克政が姿を現した。中沢とは、まだ一水社が新橋にあった頃に顔を合わせたことがあったのだが「いつぞや、新橋で」と言葉をかけられて、ようやくそのことを思い出した。

「もうすぐ、いらっしゃると思いますので」

 普段は打ち合わせに使っているであろうテーブル。2つずつ向かい合わせに4つ並んだ椅子に、それぞれ腰を掛けた。私の隣に森田が、森田の前に中沢が。そして、私の前には、まだ誰もいない椅子があった。森田や中沢と何かを話したと思うが、まったく覚えていない。きっと、私自身が、これから始まることへの期待と緊張とに包まれていたのだろう。小さなことのように思えた、わずか1カ月あまりで二刷となった事実が、次第に緊張感を忍び込ませてきていた。

 私から見て斜め向かいに座っていた中沢が、ポケットから携帯電話を取りだした。

「到着したようなので迎えにいってきます」

 中沢が席を立ってから、ちらりと森田のほうをみた。彼も、これから起こることを期待して緊張しているようであった。

 右側からすっと、視界に中沢の姿が入った。

「お着きになりました」

 その声で私が立ち上がるのと同時に、足早に女性が入ってきた。

「こんにちは、今日はよろしくお願いします」

 大阪弁のなまりの挨拶と共に、女性はぺこりと頭を下げた。ジャケットの胸ポケットから名刺入れを取り出しつつ、私は息を呑んだ。その一言がとても丁寧な言葉だったからだ。名刺を渡して、椅子に座り、改めて彼女のほうを見た。正面に座っているから、まじまじと見つめなくとも視界に入ってくる。茶色のロングヘア、大きめの真紅のトートバック。知るかバカうどんという奇妙なペンネームとは裏腹に、自分を過度にアピールする気持ちも、反対に萎縮した様子もなかった。まったく飾ることのない姿に、あっという間に引き込まれてしまった。隣に座る森田が「早く始めろよ」と声には出さないが、言っているような気がした。私は、声に出さなかったが、こう言いたかったのだ。

《自己承認欲求強そうなメンヘラタイプ。あるいは、いずれは物がわかったようなことを語りたがる批評家やらサブカル文化人に評価されて、気がつけばなんだかアングラな18禁雑誌から、ちょっとオシャレを感じさせるサブカル系出版社で仕事をするようになる……そんなレールが敷かれた雰囲気を漂わせるヤツがやってくるんじゃなかろうかという先入観は拭いきれなかった。ところが、どうしたものか。今、前に座っているのは、文化人的な香りなどまったくない、どことなくギャルっぽさも感じるが、それでいて生真面目な美しさがある。これから、何を聞かれて何を答えればよいのか緊張はあるけれども、その中に芯のようなものが見える。ようするに顔かたちに寄りかからない美人なのだ。すべてが予想外だ。だから、これから始める取材を記事にしたときに、どうすればよいのか、早くも迷いが生まれているのだ》

 黙っているわけにもいかなかった。少しばかり、取材の時の定型の断りを入れてから、私はICレコーダーの録音ボタンを押した。ピッという機械音がして、レコーダーは周りはじめた。

「前にお送りした質問事項から始めていきたいと思うのですが、いいですよね」

「どうぞ」

 柔らかそうな唇がかすかに動いて、膝の上に置いたトートバックを抱え直した。その仕草が、なぜだか焼き付くような感覚を与えた。

 インタビューをするならば、プライベートなことまでも事細かに聞いていきたいと思っていた。そこが私の知るかバカうどんに対する最初の関心のありどころだったからだ。

 前日に改めて単行本を読み直しても、なぜ、知るかバカうどんの描く作品に心が動揺してしまうのか、わからなかった。エロマンガという「実用」を目的としたジャンルの作品でありながら、まったく性的な興奮を覚えることができなかった。ただ、いくつかの作品で描かれている現実にもいるような憤り、すなわち「ムカつく」タイプの女性が、自業自得で酷い目に遭う様には黒い快感があった。射精へと至る勃起とは違う部分での興奮。性別を異にする彼女は、どのような熱狂を得て、このような作品を描き興奮しているのか。マンガ原稿に叩きつけられた、なんだかわからないものの正体を知るには、相手の話したくないことも聞かなければならないと考えていた。

君に愛されて痛かった

君に愛されて痛かった

近年まれに見る傑作では??

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