今回の広島国際アニメーションフェスティバルは、最終日の22日に「日本アニメーション大特集20」にて『AKIRA』の上映もあった。「今回珍しく『AKIRA』が最終日に大スクリーンで見られるっていう。みんなこうつながっているような気がします」と伊藤。
眞賀里の沿革を追ってきたところから話は現在に。目下、日本のコマ撮りの父と称される持永只仁(※99年に死去)が生前に残した脚本に基づく『二つの太陽』の制作プロジェクトが進行中である。持永は広島フェスでは、第4回(1992年)に国際審査委員を務めている。
眞賀里がコマ撮りの世界に入ったのは、持永がアメリカと共同制作した『ピノキオの冒険』(日本では63年放送/フジテレビ系)に参加したことがキッカケ。それだけにこのプロジェクトは使命とも言える。
眞賀里「あることは分かってても見つかるか分からなかったんですけど、持永さんの書斎を調べたら出てきたんですね。この脚本をどうするかといった時に、私が初めてコマ撮りアニメーションに触れたのが持永さんの作品だったので、しょうがないからというか私がやることになりました」
持永は水墨画のアニメーション『牧笛』などで名高い中国人監督・特偉との親交が深かったことでも知られる。共同作業も夢見ていたというが「できなかったんですよ。文化大革命とかで。そのうちに亡くなっちゃって。残念ですよね」との眞賀里に、伊藤は「それを形にしていくという眞賀里さんの心意気であり、持永さんのご家族の心意気でもあり、実現するのにみなさんも是非応援いただければと思います」と応じた。
一方の伊藤は「藝大のデザイン科を出た後に白組に入って、CGから粘土に辿り着きました。逆でしたね順番的に」。現在は『ニャッキ!』を作り続けて22年目となった。そのキッカケはアードマンの『ウォレスとグルミット』だった。
伊藤「その1作目(『すばらしい一日』)が広島(第3回:1990年)でインコンペ(ノミネート)されて、僕の作品(『星眼鏡』)もインコンペだったんですが、その4年後にアードマンに行ったらアードマンが粘土でコマ撮りをやる理由がハッキリ分かりました。古いとか新しいとか全く関係なく自分たちが信じたものを追求してく、外をシャットダウンしてでも追求するテクニック。ピーター・ロードさんの言うスキルって言葉が、日本語で言うよりも100倍、1000倍も説得力を持ったクリエイターのプライドとして感じたんですよね」
眞賀里「ニック・パークさんが入ってからアードマンは広がりましたよね。それは誰に聞いてもそう思うんだと思いますけど」
伊藤「僕もそのブームに乗ったのか、もう1本作ったら何とかなるというつもりで『ニャッキ!』を始めたんです」
伊藤有壱と眞賀里文子のコマ撮り対談、『魔人ハンターミツルギ』の秘話や進行中の『二つの太陽』まで 「キャラクターと対話しないとアニメーションは楽しくない」のページです。おたぽるは、イベント情報・レポ、アニメ、AKIRA、広島国際アニメーションフェスティバル、ドロンコロン、ニャッキ!、伊藤有壱、持永只仁、眞賀里文子の最新ニュースをファンにいち早くお届けします。オタクに“なるほど”面白いおたぽる!
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