【劇場アニメレビュー】ノスタルジックな心地よさを感じる『シンドバッド』は現代版『未来少年コナン』だった!? 

2016.05.13

アニメ『シンドバッド』公式サイトより。

『フランダースの犬』(1975年)や『赤毛のアン』(79)などの世界名作劇場シリーズや、『ちびまる子ちゃん』(90)などを手掛けてきたアニメーション制作会社・日本アニメーションが40周年記念作品と銘打って、昨年から、1本およそ50分ほどの中編映画3部作として企画・製作されたのが『シンドバッド』である。

 そもそもシンドバッドといえば、インド地方に膨大な説話を8世紀ごろのイスラム地方でまとめあげ、その後も話数を増やしながらさまざまなバリエーションを築き上げていった説話集『千夜一夜物語』(もしくは『アラビアンナイト』)の中のひとつ、『船乗りシンドバッドの冒険』(第290夜~第315夜)の主人公だが(シンバッド、シンドバードと表記されることもあり)、今では大海を旅するイスラム商人の冒険者を象徴する名前として捉えられることのほうが多い。

 そんな冒険者としてのシンドバッドを主人公とする映画は、レイ・ハリーハウゼンの特撮で有名な『シンドバッド 7回目の航海』(58)を筆頭に数多く作られており、日本でも東映動画(現・東映アニメーション)製作の長編アニメーション映画『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』(62)や、手塚治虫が“大人の見るアニメーション映画”といったフレコミで製作&構成&脚本を担当した『千夜一夜物語』(69)などもある。

 最近ではシンドバッドをモチーフとした太高忍原作&大寺義史作画のマンガ『マギ』(09~)およびその前哨譚『マギ シンドバッドの冒険』(13~/共に小学館)がTVアニメ・シリーズ『マギ』2部作(12~14)および『マギ シンドバッドの冒険』(16)とオンエアされ、好評を博している。

 こういった流れの中で製作された、今回の『シンドバッド』3部作も『千夜一夜物語』に忠実な映画化というわけではなく、オリジナル要素の強いものとなっており、さらにここでのシンドバッドは海の冒険に憧れる少年という設定から始まる。それが第1部『シンドバッド 空とぶ姫と秘密の島』(15)であり、この中でシンドバッドは空から馬を駆って舞い降りてきた少女サナと出会い、彼女を追う謎の集団との諍いに巻き込まれながら大海へと旅立っていくことになる。

 やがてサナは魔法族の姫君であることがわかり(彼女が駆る馬も、実は木馬)、対する敵の集団は、一体何世紀の物語か? と突っ込みたくなるような、あたかもジュール・ベルヌ原作のようなノスタルジックなメカが多数登場し、ここに至って本シリーズが日本アニメーションの代表作のひとつでもある宮崎駿監督の『未来少年コナン』(78)に倣った作品を目指していることに気づかされる。

 船の中でシンドバッドと友達になるアリも、まるで『未来少年コナン』のジムシーのようだし、やがて登場する敵のボス、ガリプはどことなく『天空の城ラピュタ』(86)のムスカみたいだ(これはスタジオジブリ作品だが!? ちなみに本シリーズのキャラクター・デザイン・総作画監督は『となりのトトロ』(88)の佐藤好春ということもあってか、この第1部が公開されたときは、スタジオジブリの最新作だと勘違いして見に来た人も多かったようだ)。

 一方で、シンドバッドを海へ送り出す母ラティーファ(声は薬師丸ひろ子)や、また彼が飼っているペットのキャラ設定などは世界名作劇場へのオマージュのようにも思え、要はこの3部作、日本アニメーションが久々に『未来少年コナン』風のファンタジックな活劇を目指しているのは一目瞭然で、総じて新しさには欠けるものの、当時を知る世代としてはなかなかノスタルジックに楽しめる仕上がりになっていた。

 ところが、続く第2部『シンドバッド 魔法のランプと動く島』(15)は、シンドバッドたちと敵の組織の攻防を描くという1エピソードのようにしか思えず、単品として見る分には“動く島”を舞台にしたファンタジック世界をそこそこ楽しめるものにはなっていたが、3部作の中間として次の完結編につなげるものとしては、いささか話が全然進展していないではないかといった不満と不安がつきまとう困った印象の出来になっていた。

 それゆえだろうか、今回完結編としてお目見えする『シンドバッド』は、まず第1部と第2部のダイジェストをおよそ1時間くらいで見せ、その後続けて第3部となる完結編を、およそ50分ほどにつなげるという、総集編プラス新作の長編映画仕立てになっており、これによって前2作を見ていなかった人も難なく楽しめる1本の作品に仕上がってもいるのだが、それ以上に今回のこの構成によって、『シンドバッド』という作品そのもののストーリーラインとテンポが心地よく流れていくようになり、特に第2部の存在意義というものが今回の編集によってようやく浮き立つようになってくれている。

 その意味ではこの3部作、1本1本真面目に見ていくよりも、今回の長編(ディレクターズ・カットとでも呼ぶべきか)のみを見たほうが、より作品世界に集中できるという点でもお得感がある(もっとも、今までちゃんと入場料を払って前2作を見てきた人は、ちょっと損した気になる?)。

 第3部完結編としての構成そのものは、やはり若干早足の感は否めず、キャラクター全員の魅力が引き出せているわけでもない。

 鹿賀丈史が声を担当したラザック船長など、こちらが従来のイメージとしてのシンドバッド風なだけに、もう少し深く描いていただきたかったところだ。

 シビアな目で見ると、やはりこの作品、TVシリーズ1クールか、もしくは長編3部作でやるか、中編なら6部作くらいの長さでやったほうが面白くなったのかもしれない。

 とはいえ、ここでのシンドバッドとサナが織りな[成]す“ボーイ・ミーツ・ガール”のモチーフは、アニメーションにとって永遠不滅のものなのだなと思わされるし、何よりも日本アニメーションならではの尖がってないノスタルジックな心地よさを満喫できることも確かである。

 シンドバッドの村中知、サナの田辺知子桃子、ともに好演で、特に田辺のほうはまだ声の演技に慣れていない硬さが、不思議と姫君の高貴さを醸し出していたようにも思えた。

 最後に、この3部作の監督を務めた宮下新平氏は、本作の完成直前の昨年12月に逝去された。その追悼の意味も含め、ぜひ劇場での鑑賞をお勧めしたい。
(文・増當竜也)

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