【劇場アニメレビュー】佐藤順一監督の到達点か!? 愛されてきたシリーズのフィナーレにふさわしい『たまゆら~卒業写真~第4部 朝―あした―』

2016.04.05

『たまゆら~卒業写真~』公式サイトより。

 まずアニメーション『たまゆら』シリーズに触れておくと、高校進学を機に神奈川県汐入から父の故郷である広島県竹原市に引っ越し、亡き父の形見であるレトロカメラ“ローライ35S”を常に持ち歩いて、写真を撮り続ける高校生・沢渡楓(さわたり・ふう/通称ぽって)とその仲間たちの交流を通して、少女たちの思春期の揺れと成長の日々を、慈愛深く描いたものである。

 タイトルの“たまゆら”とは「写真に写り込む淡い光の粒」のことで、楓は幼い頃に父を撮った写真にこのたまゆらが現れたことがあり、写真を本格的に始めて以降も時折“たまゆら”が写り込むのだが、その理由は本人もわからない。

 全体の流れとしては、2010年秋にOVA『たまゆら』全2巻(全4話)が発売され、翌11年秋にTVアニメーションシリーズ第1期『たまゆら~hitotose~』全12話(+特別篇)が、13年の夏に第2期『たまゆら~もあぐれっしぶ~』全12話(+特別篇)が放送された。

 その後シリーズ完結編としてOVA『たまゆら~卒業写真~』4部作が15年春からスタート。4月4日に『第1部 芽―きざし―』、8月29日に『第2部 響―ひびき―』、11月28日に『第3部 憧―あこがれ―』、そして16年4月2日に最終章『第4部 朝―あした―』がイベント上映された。

『卒業写真』4部作では、高校3年生になった主人公たちの進路の悩みなどが、それぞれ2エピソードずつ描かれていく。その中で楓は写真にまつわる仕事を望むようになるのだが、『第3部 憧』でローライ35Sが故障してしまい、父の親友でもあった写真館の主“マエストロ”に修理してもらうものの、『第4部 朝』では、今度壊れたら二度と直せないであろうことを告げられる……。

『たまゆら』は亡き父の面影を追い求め続ける楓が、その絆ゆえの縛りを乗り越えて未来へ進んでいく姿を描いていくものでもあるが、ローライ35Sの故障はそのための最終儀式であるかのように象徴的に描かれている。そして、ついに再びローライ35Sが故障してしまったとき、楓のとった言動を目の当たりにして、それまでぐっとこらえてきた見る側の涙は止まらなくなってしまう。

 そう、今回の最終章は『たまゆら』シリーズのフィナーレを飾るにふさわしい傑作であり、一見さんはともかくとしてシリーズ初期からずっと見続けてきたファンにとっては、もはや完璧な出来といっても差し支えないほどに、こちらの見たいものがすべて提示されているのだ。しかも、その完璧さは決して堅苦しいものではなく、ごくごく自然体として気持よく、あたかも春風が吹くかのようなさわやかさで貫かれている。

 これまで『きんぎょ注意報!』『美少女戦士セーラームーン』『夢のクレヨン王国』『おジャ魔女どれみ』などなど、女の子を主人公に据えたアニメーションに定評のある佐藤順一監督ではあるが、この『たまゆら』シリーズは、そしてこの『卒業写真~第4部 朝―あした―』こそは、現在における彼の頂点となる作品ではないか。

 いわゆる悪人が誰一人として登場することなく、すべての登場人物が主人公の少女たちを慈愛深く応援していくという、まるで夢のような世界(しかし、だからこそ映像の中にしかありえないファンタスティックで素敵な世界)を描いた佐藤監督作品としては、『ARIA』シリーズもある。ただ、あちらは原作ものであったことを考えると、佐藤監督オリジナル原案のこちらのほうが、より“らしい”ものに仕上がっているようにも思えてならず(もっとも『ARIA』での経験を経て『たまゆら』が成立していることも間違いないだろう)、その感動はTVモニターよりもむしろ銀幕の大画面こそが似つかわしい。

 その意味でも『卒業写真』4部作は、一般的にはOVAという括りになるのかもしれないが、実は劇場用映画として捉えても何の遜色もない、昨年から今年にかけてのアニメーション映画シーンの筆頭に立つべき優れたものであることも強く訴えておきたい。

 正直、こういった優れた作品群がイベント上映のみで終わってしまうのはあまりにももったいなく思うし、本来なら告知・宣伝においても、日本映画のメインどころに位置していてもおかしくはないクオリティで、またそういったハイレベルの作品を常に放ち続ける佐藤監督は、それこそスタジオジブリ系並みの支持と評価を得てもおかしくはないはずなのに(現に今、およそ30代以下の日本で生まれ育った女性で、彼が作ってきた作品群を見たことのない人はほとんどいないはずだ)、この現状は実にじれったいものがある。

 ジブリついでに申すと、かつて宮崎駿監督はプロの声優を起用しないことに関して「コケティッシュな声はいらない」と語ったことがあったが、佐藤監督こそは逆にプロ声優ならではのコケティッシュな声の長所を最大限に活かしながら作品を作り続けてきた人だとも断言できる。

『たまゆら』にしてもそれぞれの声優たちの魅力がキャラクターと合わさりながら遺憾なく発揮されているし、中でも驚かされるのが楓の母・珠恵役の緒方恵美で、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジをはじめとする少年キャラの印象が強い彼女を、慈愛深い母親に起用するセンスと、その期待に応えた彼女の飛躍などなど大いに讃えたいところだ(特に『第4部』は、彼女がさりげなくも重要なポジションを占めている)。

 映画には、優れていればいるほど実は逃れられようのない弱点が浮かび上がってくるもので、それは「終わってしまう」ということだ。

 この『たまゆら』シリーズ最終編にもまったく同じことがいえる。

 終わってしまうことだけが、この作品の唯一最大の欠点だ。

 しかし、今回楓が放つ「いってきます」の一言が、シリーズの、そして本作のメッセージであったことに気づきさえすれば、ラストのキャラほぼ総動員モードの心地で楓の旅立ちを見送ることができる。

 あとはいつでも「おかえりなさい」といえる心の準備をしておくことにしよう。
(文/増當竜也)

編集部オススメ記事

注目のインタビュー記事

人気記事ランキング