今までの映画『バットマン』シリーズのバットマンは、マッチョななかにもどこか優雅で、紳士で、スマートな雰囲気が漂っていた。だが、今回のバットマンにそんな精神的余裕は見られない。威圧感たっぷり、フルアーマーの重装歩兵。「俺が法だ」「俺が番人だ」感が凄まじい。脳味噌お花畑野郎のスーパーマンとは、明らかに対照的なスタンスである。
能天気な理想主義とシビアな個人主義は、どちらもアメリカ人の典型的なパーソナリティだが、まったくもって相容れない価値観である。
自分を受け入れた偉大なる法治国家・アメリカを信じるスーパーマンは、スーパーマンの扮装のままで公聴会にも出席するほど法を順守するが、バットマンが法に従うことは絶対にない。スーパーマンの人間観は眩しいほどの性善説だが、バットマンは超のつく性悪説を唱える。
現代アメリカ人の心の二様態を、二大ヒーローの対決構図にたとえるという、あざやかな問題設定と文芸的試み。本作の目論見自体は、たいへん素晴らしい。登場人物たちはまるで舞台演劇のように観念的な長台詞をしゃべり、各々の正義論をとうとうと披露する。好き嫌いは分かれるだろうが、重く、暗く、深みと格調をたたえた画面は、いちいち名画のように美しい。
が、素晴らしいのはここまでだ。
問題を設定したからには、解答が必要だが、劇中で描かれる解答らしきくだりが、いまいち解答になっていないのだ。終盤、ふたりの和解の理由(らしきもの)は描かれるが、それは観客にとってとうてい納得できるものではない。まるで、キャラ設定を極限まで凝りまくったわりに、プロットが絶望的に舌足らずなライトノベルのようだ。
その舌足らずを補うかのように、クライマックスのバトルはサービス精神旺盛だ。『風の谷のナウシカ』の巨神兵じみたクリーチャーが大暴れし、『新世紀エヴァンゲリオン』のロンギヌスの槍っぽいウェポンが登場し、『ドラゴンボール』の人造人間18号並みに強い女子が元気に加勢する。
先のラノベのたとえで言うなら、「原作はアレだけど、アニメ版のキャラデザと作画がクソ豪華だから、とりあえず毎週録画しとく」といったところ。なんにせよ、腹は満たされる。コスパ的には問題ない。
というわけで、本作は深刻な観念劇とド派手なドラゴンボールバトルが、1本の映画内に臆面もなく同居している映画である。それはまさしく、相容れないはずのふたつの精神性が、臆面もなく共存しているアメリカ人の国民性そのものだ。
さすがアメリカ。リベラルなアフリカ系大統領が現職を務める一方で、好戦的な人種差別主義者が人気大統領候補になってしまうだけのことは、ある。実に臆面もない。
(文/稲田豊史)
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フィギュアの出来だけなら、アメリカにも負けてないと思う
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