【劇場アニメレビュー】TVシリーズを見てなくても大丈夫!……だけどあと30分間欲しかった!? 『劇場版selector destructed WIXOSS』

2016.02.16

『劇場版selector destructed WIXOSS』公式サイトより

 はじめに、2014年春にリリ-スされたトレーディングカードゲーム「WIXOSS」ありき。これとコラボレートした形で、まず同年春に第1期『selector infected WIXOSS』(全12話)が、秋に第2期『selector spread WIXOSS』がTVアニメーション・シリーズとして放送された。

 そして16年2月13日より劇場公開された『劇場版selector destructed WIXOSS』は、ぶっちゃけて申せばTVシリーズの総集編映画ではあるのだが、微妙な仕掛けがなされているのがミソともいえる。

 その前にTVアニメーション2部作の内容について触れておくと……、10代に人気のゲーム「WIXOSS」に興じる少女たちの中に、プレイヤーの分身となるカードの中に描かれた“ルリグ”と呼ばれる少女たちと会話できる“セレクター”が現れるようになり、やがてルリグのカードを持つセレクター同士でカード・バトルを行うようになっていく。

 バトルに勝ち続けると“夢限少女”となり、すべての願いが叶うという。

 しかし実質は、3回負けるとセレクターの資格を失うばかりか、たとえば恋人がほしいと願った者は一生恋人ができなくなるといったように、自分の願いとは正反対の事態を迎えてしまうのだ。

 そして勝利し続けて“夢限少女”と化した者も、実はルリグとしてカードに封印されてしまい、代わってルリグは、セレクターだった少女の肉体を得て外に出て、少女の願いを叶えなければならない……。

 このように、まるで悪夢の連鎖のようなゲームに身を投じていく少女たちの心の闇と光を露わにしていくダーク・ファンタジーがTVアニメーション『selector』2部作であり、『遊戯王』をはじめとする従来のトレカゲームを基にしたアニメーション作品と一線を画したダークな世界観は、どこかしら『魔法少女まどか☆マギカ』などファンタジーを用いて閉塞的な現代を生きる若者たちのおびえを描出していく作品群とも呼応しているようでもあり、それがまた今という時代の鑑にもなっているような気もしてならない。

 さて『劇場版selector destructed WIXOSS』だが、第1期『infected』(感染した)12話+第2期『spread』(広がり)12話=全24話をおよそ90分の尺に収めるという点だけでも無理があり、さらにはTVシリーズでは描き切れなかった要素を新規に盛り込んでおり、さすがにこれはTVシリーズを見ていない者には理解できないのではないかといった懸念をファンに抱かせてしまう内容ではある。

 ただし、そういったマイナス要素をあえて受け止めつつ、作り手側はシリーズのダイジェストではなく、むしろ“destructed=破壊する”意気込みで臨んでいることも理解できる作品になっているのは興味深い。

 事実、ここではTVシリーズそのもののストーリーは最小限理解できるかできないかといったギリギリのところでの大胆かつ勢い重視の編集がなされており、これによって理屈ではなく感性で本作を捉えてほしいといった意向が伝わってくるのだが、これはかつて『新世紀エヴァンゲリオン劇場版/シト新生“DEATH”』を初めて見たときの印象にも近い。

 一方、新たな設定としてふたりの幼い少女・留未と幸が登場するのだが、TVシリーズ本来のストーリーに彼女たちがどう関わっていくかを本作は時間の許す限り描出していくとともに、謎の部分はギリギリまで伏せるといった趣向も凝らされている。

 このように、感性に訴えかける総集編部分と、じっくり練られた追撮部分の絶妙なバランスによって、結果として本作はTVシリーズとは一味異なるラスト・シーンを迎えることに成功しているのだ。

 ひとりの孤独な少女によってもたらされた悪魔のようなゲームと、それに翻弄されながら人生を残酷なまでに狂わされていく少女たちの悲劇と惨劇。そしてその連鎖を断ち切るための戦いを強いられるヒロインるう子。

 要はこの図式さえ把握できれば、本作は感覚的に優しい作品のように思えた。

 TVシリーズのファンは、どうしてもこういった総集編映画に対して「あのシーンがない」「こんなにはしょっていると、イチゲンさんには理解できないだろう」などと、作品を愛するが故の苦言を呈しがちだが、作り手もそういったリスクを納得ずくで作っているわけで、実際TVシリーズ未見の観客も、無理に筋を追うのではなく、画と音に身を委ねれば、それなりに面白く鑑賞できるように大方の作品は作られているものであり、本作も例外ではないと思うし、その後さらに興味があればTVシリーズにじっくり接すればいい。

 今はそれが総集編映画に対する見る側のもっとも賢明な姿勢のようにも思えてならないし、映画のほうから何もかも丁寧に観客に提示してくれる受け身の時代はすでに終わっていて、逆に観客のほうからもっと能動的に作品に接していったほうが得策であるような、それが良いのか悪いのかはともかく、今はそういう時代になってしまっていると思う。

 そもそも本作のような総集編映画も含めて、最近のアニメーション映画はどうして尺が90分前後といった短いものが大半を占めてしまうようになったのか。

 もちろん興行的な問題だからと製作サイドは言うことだろうが、たとえば『ガールズ&パンツァー劇場版』のように尺が2時間を超えて興収10億円を突破したものも出てきているわけで、特に総集編ものはやっぱり尺が長いに越したことはない。

 それは各作品とも上映時間120分を優に超える劇場版『機動戦士ガンダム』3部作と、各100分程度に抑えた劇場版『機動戦士Zガンダム』3部作のクオリティの違いからいっても明らかではないか。

 本作にしても、もし尺が120分あったら、より膨らみのある作品になったのではないか?

 もちろん、今回90分という枠内でやれるだけのことはやっていると評価した上で、やはり製作サイドには勇気をもって、その作品に見合った尺で勝負していただきたいと、強くお願いしたいものである。
文/増當竜也

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