【劇場アニメレビュー】RPGゲームの映像化の理想に近い、“感情移入”ができる『PERSONA3 THE MOVIE ♯4 Winter of Rebirth』

1601_p3.jpg劇場版『ペルソナ3』公式サイトより。

 TVやケータイなどのコンシューマー・ゲームの映画化には常に問題がつきまとう。 

 特にRPGやシミュレーションものの場合、単に情報量が膨大であるだけでなく、ストーリーを幾重にも分岐させながら各キャラクターのドラマをサブ・ストーリーとして構築していったり、ハッピーエンドやアンハッピーエンドなどさまざまな結末を用意させるなどの趣向が凝らされているので、そのソフトをすべて堪能するためには何十時間ものプレイ時間が必要となる。

 それに比べると映画は普通1本で2時間前後だし、またそれ以上に重要なのは、プレーヤーが能動的に参加し、シナリオとしてのレールこそあれ、自分が主人公になった気分になれるゲームに対し、映画はあくまでもその作品に身を委ねて鑑賞する受動的なものであり、もちろん主人公の行動などに感情移入してのめりこんでしまうような作品も多々あるが、基本的には観客=傍観者とみなしていいだろう。

 膨大かつ各キャラクターの人生がパラレルワールドの様相を呈することも多いRPGゲーム原作を映画化した場合、どうしてもプレーヤー=ファンは「あのシーンがない」だの「ダイジェストを見せられている気分」といった情報量の少なさに、まずがっかりさせられるものである。

 また多くのゲームが主人公=プレーヤーであるのに対し、映画は映像用に独自の主人公を設けざるを得ないところがあり、そこにプレーヤー=ファンはどうしても違和感を抱いてしまいがちだ。

 小説の映画化よりもマンガの映画化のほうが難しく、アニメーションの映画化はさらに難しく、ましてやゲームの映画化に至ってはとことん慎重でなければいけない。

 そんな中、2006年に初リリースされたRPGゲーム『ペルソナ3』(アトラス)を原作とするアニメーション映画シリーズが完結した。

『ペルソナ3』は『女神転生』シリーズから派生したRPGシリーズの1本で、この世を脅かす異形の存在に対して「ペルソナ能力」を持つ若者たちがペルソナ(人の心の奥底にある、もう一人の自分の異形化)を召喚しながら立ち向かうという世界観は共通しているが、ストーリーそのものは、シリーズそれぞれ独自のテイストで紡がれている。

『ペルソナ3』の場合、特徴的なのはシリーズの中でも特に陰鬱な暗い世界観の中、人の死を意識せざるを得ない趣向が多数用意されていることだろう。

 その筆頭として挙げられるのは、若者たちが拳銃のようなアイテムを用いて、まるでピストル自殺でもするかのように自分の肉体に向かって引き金を弾いてペルソナを召喚させるというショッキングな描写であり、そこに『ペルソナ3』独自の暗さの真髄があると思う。

『ペルソナ3』が春夏秋冬仕様の全4部作で映画化されると聞き、まず脳裏に浮かんだのは、やはりあの召喚スタイルであり、そこをいかに描いているかが自分にとってのキモであったのだが、それは春を描く第1作『PERSONA3 THE MOVIE ♯1Spring of Birth』(13年)を見て、安堵させられるものがあった。すなわち、この映画は原作ゲームのエッセンスを受け継ぎ、ちゃんと死を意識している。

 もちろん「あのシーンがない」「主人公(結城理)が無感情すぎる」といった不満がまったくなかったわけでもないのだが、逆に原作のどの部分を取捨選択しておよそ90分の映画に仕立てているかに興味を向ければ、作り手とプレーヤーだった自分との作品に対する意識のギャップなど痛感させられつつ、「俺ならこうやるのに」とでもいった別の映画が頭の中で出来上がっていくような感覚もあり、それはそれで非常に楽しい作業となって、ペルソナ使いの若者たちと異形のもの“シャドウ”とのアニメ-ションならではのダイナミックなバトルを堪能できたのであった。

 夏を描く第2作『♯2Midsummer Knight’s Dream』(14年)は1作目が暗すぎたことを反省してか(?)、ヒロイン・キャラの水着サービスなどの萌え&コミカルな要素や、さらには少女型戦闘ロボット・アイギスが味方として登場し、よりドラマを豊かに膨らませていく。

 秋を描く第3作『♯3Falling Down』(15年)では起承転結の「転」としての重要キャラクター望月綾時(主人公の結城と同じ石田彰が声を担当しているのがミソ)が登場するが、一方でお約束の修学旅行温泉ネタなどのサービスも忘れることなく(?)、またここまででペルソナ使い個々が心の闇を乗り越えていくさまも感動的に語られているのと並行して、結城にも少しずつ感情が蘇り、表情が豊かになっていく。

 そして完結編となる『♯4 Winter of Rebirth』(16年)は、もはや世界を救うことはできないという現実から始まり、結城たちの絶望と、ここに至って初めて気づいた死の恐怖を、延々と降り続く雪の凍りつくような寒さをもって見事に描出していく。
 これは4部作を通して白眉ともいえる秀逸なもので、ではいつその雪は止むのかといった興味まで生まれていき、それは映画オリジナルの趣向をもって、これまた見事に、主人公たちの究極の絶望が希望へ転じていくさまが、これまで見たこともないような美しい日差しの光をもって描出されている。

 総じて今回の完結編、4部作の中で最も作画にも力が入っている。

 そこから一気呵成になだれこんでいくクライマックスのラスト・バトルに関しては、最初に述べたように、「映画を鑑賞する観客は受動的ではあれ感情移入できる」という利点をフルに活かしながら、あたかも自分が主人公としてゲームに参加しているのと同等の興奮とカタルシスを味わうことができた。これはゲームの映画化として実に理想的なものではないかと思う。

 見る人それぞれで印象が異なるであろうラストの処理も、それが映画ならではの奥深さとして胸にしみるものとなっており(ちなみにパンフレットでは、そのラストの解釈をプロデューサーと監督が語っているが、二人とも微妙に異なっており、一方で私はまったく異なる想いを抱いた次第)、『♯1』のときに抱いた不満は回を重ねるにつれて徐々に気にならなくなっていき、結果としては大団円の大満足。メメント・モリではないが、死を意識し続けたことで、生の輝きがきちんと導き出されている。

『ペルソナ』シリーズはこれ以前に『ペルソナ4』がTVアニメーションとしてシリーズ化されて好評を博しており、現実的には映画よりもTVシリーズのほうがゲームの映像化に適しているのかもしれない。しかし、膨大な情報量を取捨選択していきながら、ダイジェストの域に収まらないよう腐心していった今回の4部作映画の意気込みも大いに買いたいと思う。

 とはいえ、それまでの3作の上映時間が90分前後と、どこか物足りなさを感じていたのに対し、今回は105分と納得できる尺ではあったのだが、とかく最近のアニメーション映画の上映時間の短さは何とかならないものかと思う。かつては『宇宙戦艦ヤマト』劇場版(77年)や『機動戦士ガンダム』劇場版3部作(81~82年)など2時間を超える大作仕様のものが多かったことを振り返ると、『ペルソナ3』4部作にしても各2時間くらいの尺があっても良かったような、そんな気持ちも芽生えないではない。

 興行的にうまく回転するよう上映時間を短くしたがるのは製作サイドの常ではあるが、たとえば上映時間2時間強の『ガールズ&パンツァー劇場版』(15年)が興収9億円を超えるヒットとなっている現状から察しても、要は真に面白いものを作れば当たるのだという、しごく当然の結論にたどり着かざるを得ないし、『ペルソナ3』にもその可能性は大いにあったと思うのだ。
(文/増當竜也)

劇場版ペルソナ3 #3 Falling Down (完全生産限定版) [Blu-ray]

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『P4』TVアニメから数えるともう8年。岸スーパーバイザー、スタッフさん、お疲れ様でした

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