【劇場アニメレビュー】クールな3DCGの画面から時おりのぞく “熱さ”が醍醐味に『亜人―衝動―』

2015.11.27

劇場アニメ『亜人』公式サイトより。

 桜井画門の人気コミック(講談社)を原作に、3部作仕様でお届けするSFバトル・サスペンス・アニメーション映画、その第1弾となる『亜人―衝動―』は、コミックでいうと第3巻あたりまでを映画化したものである。

 まず、亜人とは決して死なない人間のことで、現在までに世界中で46体(46人と称してないあたりがミソ)、日本で2体が確認されているのだそうだ。

 誰が亜人か、それは一度死んでみなければわからないというのも設定としてはシニカルではあるが、ここではエリート高校生・永井圭がトラックに衝突して死亡するも、その直後に生き返ったことから、国内3体目の亜人として政府から、そして彼にかけられた賞金目当ての一般市民から追われる羽目となる……といった筋書きだ。

 今回のアニメーション化で注目すべきは、これが3DCGセルルックで制作されていることだろう。
 アニメーション制作はポリゴン・ピクチュアズで、総監督の瀬下寛之、監督の安藤裕章、どちらも同社の看板作品ともいえる3DCGセルルック・アニメーション『シドニアの騎士』TVシリーズ(2014~15年)のスタッフである。

 現在、3DCGセルルックに力を入れている国内のスタジオとしては、ポリゴン・ピクチュアズと、『009 RE:CYBORG』(12年)や『蒼き鋼のアルペジオ―アルス・ノヴァ―』(13年)シリーズなどを制作してきたサンジゲンが挙げられるし、先ごろ公開されたばかりの映画『ハーモニー』(15年/アニメーション制作はSTUDIO4℃)でも3DCGセルルックが効果的に用いられていた。

 聞くとこの3DCGセルルック、どうもアメリカあたりではいまだに興味を示してもらえていないようで、あちらの感覚からすると「じゃあ、実際のセル画でやればいいじゃん」ということらしいのだが、あたかも人形劇のようなアメリカの3DCGアニメーション映画の数々は、正直なところ生理的にあまり好みではなく、特にディズニーに対しては、もうセル・タッチの2D作品は作ってくれないのかと嘆息することが多いのも本音ではある(それにしても、なぜあちらのキャラはああも目が大きく、おまけに口元が歪んでいるのだろうか?)。

 以前、高畑勲が「日本人の顔は平面的なので、日本では3DCGアニメは似合わないし、流行らない」といった発言をしていたが、確かに最近でも『GAMBA ガンバと仲間たち』(15年)が、そのクオリティーの高さとは裏腹に大コケしてしまったように、日本では今もなかなか3DCGものは流行らない(ディズニー作品は別だが)。

 しかし3DCGセルルックならば、日本のアニメ・ファンにも容易に受け入れてもらえるのではないか。今回の『亜人』や、『ハーモニー』『蒼き鋼のアルペジオ』などを見るにつけ、そう思えてならない。

 また、たとえばサンジゲンがどこか温かみのある3DCGセルルックを具現化させているのに対し、ポリゴン・ピクチュアズのそれはどこか体温が低いような気がしてならないのだが、その体温の低さが今回の『亜人』では徹底してクールな合理主義者である主人公・圭のキャラクターをより深く浮彫りにすることに貢献しているようでもあり、また亜人の分身ともいえる黒い幽霊のような形態をした“IBM”の不気味かつ躍動感ある描出にリアリティを持たせることにも成功している。

 もともと原作漫画のほうが、どちらかというと温かみのある画なので、その点、原作ファンの中には違和感を覚える人もいるかもしれないが、映画としての作品全体のテイストからして、この方法論は決して誤ってはいないとどころか、『亜人』の映像化に」ふさわしいもののように思えてならない。

 亜人は何度も死んでは生き返るゆえに、そこを強調するための残酷血まみれショットも決して少なくはないが、それもまた全体を通してのクールな3DCGセルルックがもたらす世界観と巧みにマッチしているので、見る側に戦慄の恐怖こそもたらすものの、そこに不快感はない。

 亜人を追う亜人管理委員会の戸崎(トサキ)が、エリート意識丸出しの冷たいキャラであるにもかかわらず、トザキと誤って呼ばれるたびにムッとなって言い返すあたりは『釣りバカ日誌』のハマちゃんみたいで(⁉)、そこに不可思議な人間味があふれ出すのも微笑ましいが、彼が飼っている(という表現がふさわしい)亜人・泉の言葉少なげな雰囲気からは、彼女の哀しき運命めいたものまで醸し出されていく。

 こういった低温体質の中からひょいと熱いものが垣間見える妙味こそが、3DCGセルルック・アニメーション映画『亜人』の醍醐味ではないだろうか。

 全3章の第1弾ではあるが、さほど序章めいた“まだ始まってない”感は薄く、1本の作品としてかなりのカタルシスを味わうことはできるし、終わらせ方もちょうど切りがよく、それでいて次回への期待を繋ぐものとなっている。

 もっとも、こうしたハイ・クオリティーによって、第2部以降さらなる高みを求められ、それに応えていかなければならないスタッフのプレッシャーは、相当なものがあるだろうが、一方ではここまでのものに仕上げたことを誇りに思ってもいいだろう。

 来年1月からはTVシリーズも始まるとのことだが、映画シリーズとどのようにリンクしていくのか、また、原作漫画がまだ終わっていない中で、映画3部作はどのような結末を迎えるのか、今は期待半分、不安半分の心持ちでいることを素直に白状しておく。

 どうか期待が不安を凌駕する結末になりますように。
(文/増當竜也)

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