劇場アニメレビュー

【劇場アニメレビュー】異色コラボに意外と違和感なしも、欲しかった“歪さ”『サイボーグ009VSデビルマン』

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(C)2015「サイボーグ009VSデビルマン」製作委員会

 石ノ森章太郎が1960年代より描き続けてきた『サイボーグ009』(連載当時は石森章太郎名義)と、永井豪が70年代前半に発表してセンセーショナルな話題をふり振りまいた『デビルマン』。

 日本の漫画界が世界に誇る二大名作が『サイボーグ009VSデビルマン』としてコラボレーションされるとは思いもよらなかったが、若き日の永井が石ノ森のアシスタントとして『009』の背景などを描いていた師弟関係の事実を考えずとも、不思議と違和感を覚えないのは、やはり両者に共通する“何か”があるからかもしれない(石ノ森もアシスタント時代の永井を「自分と同じ感性」と評していた)。

 一方で70年代アニメ世代としては、毎年春や夏のお楽しみ“東映まんがまつり”で『マジンガーZ対デビルマン』(73年)、『グレートマジンガー対ゲッターロボ』(75年)などなど、永井豪原作による人気アニメ・ヒーローのコラボ映画とはごくごく自然に接していたこともあって、今回の企画は妙に懐かしいものも感じてしまう。

 さて、この二大名作について今さら説明するのも野暮なことだが、今回のコラボ・アニメは双方の原作を大いに意識したものになっている。

 冒頭、009とアテナ、ヘドロスらミュートス・サイボーグとの対決が描かれる。原作でいう《ミュートス・サイボーグ編》のクライマックスだ。
 ここでは00メンバーよりも力の強いサイボーグ集団を相手にしての、いわば勝ち目のない戦いに身を投じることによって、奇跡的に勝利はするものの、自分たちの力の限界を00メンバーは思いしらされることになる。
 また、当時「週刊少年キング」で連載されていた《ミュートス・サイボーグ編》は打ち切りの憂き目に遭って中途半端な形で終了を余儀なくされ、後に単行本化された際に大幅な加筆修正を経て一応の完結を迎えてはいるが、この騒動もひとつの象徴であるかのように、結局石ノ森は『サイボーグ009』は完結させられないまま逝ってしまう。

 近年、石ノ森の遺志を受けて『サイボーグ009完結編conclusion GOD’S WAR』が発表されたが、どこかいびつな感は否めず、その伝でいくと、やはり『サイボーグ009』は未完の名作であり、それゆえにまだまだ無限の可能性を秘めた作品であることを、このオープニングは知らしめているような気もする。

 同時に『デビルマン』からはデーモン族のジンメンによるサッちゃんの惨劇が冒頭で描かれる。5歳の幼い女の子を無残にも殺してしまうショッキングなエピソードは、その後に原作が向かう地獄の黙示録への道標にもなっているようで、今回はこれを頭に置いていることで、本作もまた原作のおぞましきクライマックスまでも大いに意識させてくれることになった。
 また、それゆえにドラマ本編が始まって、屈託のない笑顔で悲劇のヒロイン牧村美樹が登場してくるのが痛々しいほどなのだが、こうなってくると、本作は『デビルマン』原作のスピリットをどのあたりまで網羅してくれているのかと、心が入り乱れていくのだ。

 さて、プロローグが終わり、いよいよ本編の始まりとなるが、見る側は当然、00メンバーとデビルマンの双方の誤解によるバトルがまず始まるものと予想することだろうし、事実その通りになる。
 デビルマンは009たちを機械と融合したデーモンと勘違いし、009たちはデビルマンをブラックゴーストの新たな魔手とみなし、壮絶な戦いが展開されていくのだが、その描写は期待を裏切ることなく、しかも驚くほどに009とデビルマンが同じ画面の中にいて違和感がない。

 よくよく考えていくと『サイボーグ009』も『デビルマン』も、人ではない異形のものの哀しみを描いている点で共通しており、そこが石ノ森と永井の「同じ感性」であることを、このバトルが巧まずして描出し得ていることには喝采を送りたい。

 ただし、本作が真にエキサイトできるのはやはりここまでで、以降はブラックゴーストとデーモンが手を結んでの悪だくみを、00メンバーとデビルマンが共闘して叩きのめすという、いわばこちらも予想通りの展開となり、それはそれで楽しく見ていられるのだが、結局は『マジンガーZ対デビルマン』の頃とさほど変わらないイベント・ムービーの域に収まってしまうのは、ちともったいない。

 ストーリーも、新たな00ナンバーの敵が登場するといった『サイボーグ009』の世界観にデビルマンのキャラたちが参入していくかのようなノリではあり、このあたりは故人となって久しい師匠に永井豪が敬意を表してのものかもしれないが、そこもまた違和感のないまま自然にドラマが転がっていく。

 ファンとは身勝手なもので、そうなるとどこかにいびつな軋みを求めたくなるのだが、本作には見事なまでにそういった軋みを見出せない。それは作劇として称賛すべきことではあれ、なぜか物足りなさを想起させてしまうのも事実だ。

 さらに本作はおよそ30分のエピソードを3本連作しているのだが、1話ごとにメインタイトルとエンドタイトルが登場してくるものだから、まさにブルーレイをみんなで大画面鑑賞している“イベント上映”という名称がふさわしいものになってしまっていて、せっかく銀幕で両ヒーローがダイナミックに立ち回っている勇姿の好印象までもが若干損なわれてしまうといった憾みが残る。

 せめて『宇宙戦艦ヤマト2199』シリーズのイベント上映のように、途中のタイトル部分を切って1本の作品として繋げていれば、もっと印象は良くなったことであろう。

 監督の川越淳は21世紀版TVアニメ『サイボーグ009』(01~02年)を演出し、一方では永井原作の『鋼鉄神ジーグ』(07年)やOVA『マジンカイザーSKL』(10年)なども手掛けてきただけあって、石ノ森&永井双方の世界に精通している人材ではあるが、そのキャリアが今回は長所にも短所にも結び付いてしまったのかもしれない。

 時代社会の推移に伴う00メンバー個々のキャラクター・デザインの変更なども、神山健治監督の3D映画『009 RE:CYBORG』(12年)ほどの違和感はなく、『デビルマン』の画そのものの明るさとドラマの不穏さとのギャップもスムーズではある。しかし、そのスムーズ感の奥に、何かしら不寛容さを感じる要素も正直見てみたかったというのが本音である。

 さらに申すと、双方のファンが本当に見てみたいのは、この後のドラマではないだろうか。

 つまり『デビルマン』がこの後向かう世界崩壊の黙示録に『サイボーグ009』が絡んでいくとしたら、いったいどういう顛末を迎えるのか?

 もしそれが可能になれば、美樹を含む牧村家の惨禍も、00メンバーの尽力で阻止できるのではないか?(そうすれば、小学生の頃にリアルタイムで原作に接した、私のような世代のトラウマも解けるというものだ⁉) 

 本作そのもので一番描き切れてなかった『デビルマン』のメフィスト的存在たる飛鳥了も、この流れの中で00メンバーと交流していけば、なにがしかの化学反応も期待できそうだ。

 いずれにせよ、パラレルワールドとしての『サイボーグ009』と『デビルマン』が、このコラボレーションによって突き詰められ、類を見ないエンタテインメントとして発展させられるかもしれない。
 石ノ森サイドと永井サイドの大英断を期待したいところである。
(文/増當達也)

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